2012-01-01から1年間の記事一覧

『臨床哲学エセー 或る映画監督の日常』

私はマンガを真似して絵を描く絵師だった。模写をする作品は大抵『るろうに剣心』和月伸宏著か『バガボンド』井上雅彦著という剣客マンガばかりだった。小説もいくつかは書いてはいたが世に出ることはなかった。私は大谷大学を休学している休学者でニートだ…

『Kの物語』⑩ 

私は映画監督になりたいと考えていた。親鸞の生きざまを映画化するのだ。そのために私は吉川英治の『親鸞』を原稿用紙に万年筆で書き写している。そして、『Kの物語』は私とKとの魂の遍歴を描いている。映画監督になりたいと思った理由は、原田眞人監督作品…

『Kの物語』⑨ 

私はマンガ文化にはまっていた。そして、英語の勉強に力を入れるようになっていった。文法書を丸暗記するために『総合英語FOREST』を音読したり、『速読英単語必修編』one paragraphを10回づつ音読したりしていた。私はとても英語が苦手であった。特に英文和…

『Kの物語』⑧ 『饗宴』―恋(エロース)について―

『プラトンの哲学』藤澤令夫著を導きとして『饗宴』のエロース(恋)そして<美>におけるイデア論を考察していきたい。 藤澤は機が熟して、イデア論は『饗宴』において―それを語るのがエロース(恋)の正道をソクラテスに教えたという想定の巫女ディオティ…

『Kの物語』⑦ 『リュシス』―友愛について―

私は「ソクラテスの徳概念」に近づくために友愛をあつかったプラトンの対話篇『リュシス』l9〜8『饗宴』とアリストテレスの『ニコマコス倫理学』友愛篇と『エウデモス倫理学』フランスの哲学者アンドレ・コント=スポンヴィルの『ささやかながら、徳につい…

Kの物語⑥ 

Kは古典ギリシア語を勉強するようになった。なんでも田中美知太郎先生のようになりたいそうだ。私もそれにつられて古典ギリシア語の勉強をするようになった。Kはイギリスのケンブリッジ大学に留学したいらしくケンブリッジ英検を受けるとか言っていたが、私…

『Kの物語』⑤

私はKのようにファンタジーを書くことができずに悩んでいた。Kは地下室に降りていくことができたが、私はそうすることができずにいた。そのために創作落語を書いてしまおうと思った。エドガー・アラン・ポウの怪談物やシャーロック・ホームズの推理物を下敷…

『Kの物語』④

Kは新たな文学作品にとりかかっていた。そのお話はおとなもこどもも愉しむことができる文学作品であった。そのお話は魔法の力で主人公が成長をとげていく成長物語でKはバッハの『ゴールドベルク変奏曲』をCDで聴きながら書いていった。Kの書く文章はひとつの…

『Kの物語』③

私はKの児童文学作品を編集することにした。Kは妖精を見たことがあるらしく、妖精が消えていく作品が多くあった。私は妖精は何の象徴だろうといらぬ解釈をしたり、女性像のKにおける神秘性を「Kの理想の女性像」と勝手に思い込んだりしたが、Kには、「大きな…

『臨床哲学小説』 Kの物語②

私はKの部屋を訪ねたことがある。Kの部屋には運動学者である金子明友氏の著作やフッサール現象学の本があった。私は体操競技に関してはずぶずぶの素人だが、京都大学体操部に入ることになった。Kも京都大学体操部に入っていた。Kと酒をくみかわしながら…

『臨床哲学エッセー』 フッサール現象学と体操競技

私はフッサール倫理学を勉強して「人と人との間柄」について考察していきたい。カフカやハイデガーなどの実存主義の哲学を学んでスポーツに活かしていきたいと思っている。体操競技を現象学的に分析してエッセーとしてまとめていきたいと考えている。私は中…

『臨床哲学小説』 Kの物語①

Kは英国に留学したことがあった。私はいまだかつて日本という場所から離れたことがなかった。Kの話すブリテッシュイングリッシュは英国人からおすみつきをもらっていた。ある日、Kはドイツに行くことになった。Kは作家でカフカの小説が好きであった。K…

『臨床哲学エッセー』 エッセーという習作

エッセーという試みは私にとってなかなかなじむことができない。感覚が明るい方へといくことができないためである。私は現在、カフカの『城』という小説を精読している。この小説は<感覚が暗い小説>であり、読み進むほど私の肌理があらわになってくる。見…

『臨床哲学エッセー』 深夜のエッセー

私は書くことが苦手である。どうあがいてもなかなか思うように書くことができない。いいアイディアが浮かんでもあぶくのように消え去ってしまう。そんなときは無意識や詩のことを考えるようにしている。詩はワインのようなものだ。<言葉にならないこと>を…

『臨床哲学小説』 私とM

私は作家でそこそこ売れている作家だった。Mは児童文学作家で長編の作品を書くことを得意としていた。私とMとの出逢いは書けば長くなるが、一応書きとめておくことにする。それは電車のなかだった。私がノートブックに小説のプロットを書いているとMが話…

『臨床哲学小説』 私とK

なかなか小説が書けない、とKは悩んでいた。Kはいつも深夜の暗い部屋で原稿を書いていた。Kは哲学書を音読することがひとつしかない趣味であった。私はカフカの影響を受けてKと同じく作家になった。六畳間の古びたアパートでえんぴつと万年筆を使いなが…

『臨床哲学エッセー』 私とフランツ・カフカとドストエフスキー

私は文筆家のフランツ・カフカを尊敬している。なぜならば、カフカの書く文章はどことなく不安定で世界から孤立している印象をぬぐえないためだ。大きくなった自尊心がそのままとぐろを巻いている。しかし、そこには大きな光が表現されている。本の世界にど…

『臨床哲学エッセー』「書くことは生きること」

ぼくにとって書くことは生きることだ。ファックス用紙にえんぴつをつかって<ひっかく>ことによって自己の内面をさらけ出していく。エッセーはぼくにとって生き甲斐でもあるし、相棒のような存在でもある。内面を見つめる行為としてのエッセーは「書くこと…

『臨床哲学エッセー』舞踏とはなにか

舞踏とはいったいなんであろうか。うつ病と統合失調症のなかで<生きづらさ>をかかえている私は「語る」ことに抵抗がある。そのために「語る」ことのない舞踏に関心をもっている。宇宙のなかでの広がりが舞踏のなかで表現されている。舞踏にいたる道のりは…

『臨床哲学エッセー』<在る>とは何か?

<在る>とは何か?それがわからなかった。どうしてこんなに不安を感じるのだろう。時間のためか、<在る>ためのせいなのか。詩を書くこともできずに<ぐずぐず>している。学び舎がとても恋しい。日常のなかで<在る>ことを問うことは少ない。自動筆記の…

『臨床哲学エッセー』2「<聴くこと>と<待つこと>」

「書くこと」は軀の思想とつながっていると思われる。なぜならば、こころと軀が直接的につながっているためである。軀を鍛えることによって文章もまた鍛えられることになる。そして、<聴くこと>もまた軀が強くなければよりよく<聴くこと>はできない。<…

『臨床哲学エッセー』「音楽と軀」

音楽と軀は密接にからまりあっている。クラシック・バレエにおいて音楽を聴きながら踊ることは最も大切ないとなみである。両耳を貫通するように音楽を聴くことによって音楽を軀にしみ込ませるのである。クラシック・バレエは年齢を問われない芸術である。音…

『臨床哲学小説』「それぞれのなりわい」

私は<生きづらさ>を感じており、友人のKにそのことをうちあけることにした。Kは小説家でいろいろなことを知っていた。私は古い音楽から作曲することをなりわいにしてきた。Kはフランス語で詩や小説を書くことができた。Kはむかしバンドを組んでいたが…

『臨床哲学エッセー』「何故、私は哲学するようになったのか」

私はものごころついたときから本を読むことも好きだったし、書くことも好きだった。日常のつまらないことに疑問を持ち探偵小説を読むことも多かった。とにかく多くの時間があったのだ。友だちと野球をしてすごす時間よりも想像力をふくらまして本を読んだり…

或るエッセイ4

「書くこと」は内面をさらけ出すことだ。それはひとつのいとなみでもある。私は「書くこと」が日常的行為になればいいと望んでいる。ファックス用紙に2Bのえんぴつによって<ひっかく>ことによって「書くこと」を定着させるのだ。このことは文体の精度に…

『小説家をめぐる冒険』「何故、人は生きるのか」

私は知らないあいだに小説を書いていた。「何故、人は生きるのか」という重いテーマをあつかった小説だった。それまで私は小説というものを書いたことがなかったが、書いてみるとすらすらと書くことができた。本を読むこと特に小説を読むことが好きだった。…

一私小説家の弁明

ながいあいだ私は小説を書いて来た。小説を書くことは内面を吐くことである。私は不眠症に苦しめられて来た。それは外面的な不眠症ではなく、内面的な不眠症である。この原稿はファックス用紙に2Bのえんぴつでひっかかれて書かれたものである。不眠症は「…

『小説家をめぐる冒険』『クラタカソウスキ』

私はクラタカソウスキといっしょにすんでいる。クラタカソウスキとは本の山のことである。なかなかクラタカソウスキは仕事の助けにはなるが、邪魔者扱いされることもあり、大変迷惑なことがある。しかし、クラタカソウスキは小説を書くときに大変便利な働き…

或るエッセイ3

私はいつのまにかシューベルトの『冬の旅』を聴いていた。小説を書くことをなりわいとしている私にはシューベルトの『冬の旅』はバイブルや聖典のようなものだった。休学しているあいだは生きがいのようなものがなかなか見いだすことができなくて苦悩してい…

『小説家をめぐる冒険』『音楽を聴きながら』

私は苦悩のなかにいた。ゆうじんKは小説家で語学が堪能だった。私は仕事でエッセイを書いていた。音楽を聴きながら。私にとって仕事中に音楽を聴くことはなくてはならない行為だった。私は音楽に集中していたのでドイツ語もフランス語もはなすことができな…