『臨床哲学エッセー』 私とフランツ・カフカとドストエフスキー

 私は文筆家のフランツ・カフカを尊敬している。なぜならば、カフカの書く文章はどことなく不安定で世界から孤立している印象をぬぐえないためだ。大きくなった自尊心がそのままとぐろを巻いている。しかし、そこには大きな光が表現されている。本の世界にどっぷりつかっている私は何度も何度もその光に救われてきた。暗い光は真理の眼をもっているのである。カフカは不安を<書くこと>によって不安を不安でなくしたのである。その深みを増していく小説世界はドストエフスキーに通じるものがある。深層心理へと一気にダイブするのだ。人と人とのつながりを考えている私はカフカにはどのような友愛があったのだろうと考えざるを得ない。カフカは自然を描いたのではない。不自然を描くことで世界の自然を描いたのである。自然と不自然は表裏一体となっている。カフカの作品にはいきなり見ず知らずの人にしゃべりかけられるという気持ちをあらわした作品が沢山登場するその作品を多くの人々に味わっていただけたらと思う。
 ドストエフスキーの世界は日本の深い森を想起させる。暗い世界観のなかでも人間の真理を表現され、考えさせられながら読み、読みながら考えさせられることが多い。そして深いのである。この人はあの人であの人はこの人と、推論させながら読まされる作品群は私の本棚にしまってある。光のなかで読まされることは非常にまれ、なことで私の根本源泉となっている。