『Kの物語』④

Kは新たな文学作品にとりかかっていた。そのお話はおとなもこどもも愉しむことができる文学作品であった。そのお話は魔法の力で主人公が成長をとげていく成長物語でKはバッハの『ゴールドベルク変奏曲』をCDで聴きながら書いていった。Kの書く文章はひとつのアリアだった。Kは作曲と小説を書く行為をひとつのものとみなしていた。Kはスイスに行ってユング研究所で資格をとってスクールカウンセラーになりたかった。そのためにKは日本でむかしばなしを集めることと学校相談室で箱庭療法を「猛者」のようにやっていった。そのあいだにKは児童文学の作品を「こつこつ」と書きためていった。そして近所の交流分析の専門家でかつてはスクールカウンセラーであったバルバナス女史にときどき会い、教育分析をしてもらった。そこでは心理学の基礎的なことも学ぶことができた。その体験をKは『たましいの冒険』として上梓した。Kはあいかわらずにユング心理学を独学で学んでいた。
 Kはグリム童話や西洋の神話やゲーテの戯曲『ファウスト』やシェイクスピアを研究し、それらをたくみに臨床としての「場所」に活かすことを得意としていた。夏になるといっそう創作活動が忙しくなり、バルバナス女史に会う機会は少なくなってしまった。教育分析であったためにこれが終わるとスクールカウンセラーとして羽ばたいて行くことになる。
 私は心理学の小説を書くことをKにすすめられた。ユング心理学に詳しかったKから様々なアドヴァイスをもらった。私は自我が弱ったために昔話の大海原に飛び込むことにした。グリム童話の「白雪姫」は私の理想の女性像すなわちアニマであり、バッハは私の理想の男性像すなわちグレートファーザーである。私は「たましい」について考察していきたかった。『ファウスト』に登場するグレートヒェンは私のグレートマザーであった。私は神話をヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』と旧約聖書の『ヨブ記』にすることにした。あとで記するのを加えると神話は四つになる。私は小説を書くときはバッハやジャズ、マーラーの音楽がなければ書くことはできない。私は元来、浄土真宗仏教徒だがプロテスタントの洗礼を受け、ハイブリッドな仏教徒となった。不眠症をかき消していくかのように私は小説を書いて行った。その内容は私の夢や身の周りにおこったことなどをきわめてエッセイに近いかたちで作品になっていった。Kは大学の並木道で体操や文学のことについて語りあった。私は軽い統合失調症を抱えており、Kはうつ病を抱えて生きていた。
 私は小説を書くときはいつもジャズ喫茶で原稿を書いていた。私はKの言ったことを踏まえて『Kの物語』を書くことにした。ふたつの「たましい」がぶつかりあう様子を淡々とした筆致で書くのだ。そこにあらわれてくる物語は「渇き」の物語。つまり心的エネルギーが枯渇した物語で始まる。むこうのほうからジャズの音楽が流れだしてきた。私は遠い古代ギリシアの詩や神話を想った。不可思議なことに古い新しいに関係なく神話や昔話を耳にしたり、読んだりすると自然と詩が思い浮かんでくる。ジャズを聴いているとさまざまなインスピレーション(霊感)が天からおりてくる。私はこのまま『Kの物語』を「たましいの錬金術」として書き続けていきたいのでジャズの曲はないがしろにするわけにはいけない。
 私は『Kの物語』を書くにあたってヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』と旧約聖書の『ヨブ記』と『ナルニア国物語』と『ゲド戦記』を神話の解釈学にのっとって私なりの解釈をかなり主観的ではあるが、『Kの物語』のなかでKの独白として書いていきたい。
 ユング心理学の私なりの解釈をジャズのようにアレンジして書いていくのだ。「本を読む」ことは心理療法でクライアントと面接している時間とまったくいっしょであるとKから聞いたことがある。Kは私よりも主観的に「本を読む」ので前々から気になっていたことなので訊いたところそのような返事が来た。私は本の精読が好きなのでヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』と旧約聖書の『ヨブ記』も『ナルニア国物語』も『ゲド戦記』も精読をして考えながら読んで解釈していきたい。
私は魔法の国に行くことにした。六畳間の独り暮らしのアパートには本棚の隠し扉があり、「グリム王国」へとつながる道が存在する。「グリム王国」を支配しているのはあの「白雪姫」だ。小人がいて樹を切ったり、魔女が魔法を学ぶ学校がある。その学校は<ギムナジウム>と呼ばれており、魔法以外にも算術や医術、バレエを習うことができた。ドワーフは人間のおろかな行為をそのままかたちづくっている。人間たちの夢のなかに入り込んでいろいろな悪さをする。「グリム王国」には国を統治する王さまがいて、女王さまがいた。女王はあの白雪姫だった。Kは「グリム王国」に入ることができない。私もその理由はわからなかった。「グリム王国」は一日中、白夜が続いており、寒さが厳しかった。私は黒いフロック・コートなしでは「グリム王国」に入ることはできなかった。
 Kは「グリム王国」に入ることを許されてはいないので、私から口伝えで「グリム王国」でおこった出来事を語った。夏になると「グリム王国」では舞踏会が開かれ、バレエの公演もあった。舞踏会では「グリム王国」舞姫や王さまや女王さまが手と手をとりあってワルツを踊った。バレエの演目は『ドン・キホーテ』か『白鳥の湖』ときまっていた。Kはその様子をきかせてくれ、と私にせがんだ。その目は少年そのものだった。「グリム王国」には「グリム図書館」という王立の図書館があった。そこにはグリム兄弟の集めたメルヒェン『グリム童話』が並んでいた。
Kは「グリム王国」でおきた出来事をスイスにいるときでさえも手紙で書いてくれるように私にせがんだ。私はいつものジャズ喫茶でKにあてる手紙を書いていた。むこうのほうからニール・ヤングフォークソングが聴こえてくる。私は『Kの物語』の原稿を書いていた。夜の時間をふうじこめたような内容だった。ナルニア国物語の神話解釈は私をひとりぼっちにさせた。しかし、私はひとりぼっちには慣れていたので平気だった。夢のなかでは私はひとりぼっちではなく、編集者や「なかま」がいた。目覚めてそれははっとする心持ちになった。「グリム王国」も夢の産物か、と思っていたがそうではなかった。Kは私大切なことをいろいろと考えさせてくれた。今日は暑くて仕方がなかった。こう暑いと暑苦しいフォークソングを聴きたくなる。だから私はニール・ヤングのしゃがれた声を聴くのだ。本の世界にどっぷりつかっている私と臨床心理士としてまた高校と中学校のスクールカウンセラーとして活躍しているK。私にはこの奇妙な世界を「書く」しかなかったのだ。私はいつも本や物書きについての夢ばかり見る。理由は私にもわからない。きっと深い意味があるのだろう。Kはオートロックの高級マンションに住んでいた。私はあまりこういう住まいは好きではない。一番骨が折れることは「小説を書くこと」であり、一番心の充足を得られることは「小説を書くこと」だった。私は『Kの物語』をゲーテの悲劇『ファウスト』の物語にそって書くことにした。主人公である「私」は本性は実は悪魔であるKに「欲望」のあまり契約を結んでしまう、という物語にしてしまった。そのうち『Kの物語』は書くことにして、私は落語の練習をしはじめた。創作落語を学ぶことによって文体をより『臨床哲学小説』に近づけるためだ。大学で創作文芸を身につけていない私はそういうことで文体を磨いていくしかなかった。私は物書きにはむいていない人間じゃないかと思う。<自己のなかにいる他者>にむきあっていなければ「小説を書くこと」はできない。