2013-01-01から1年間の記事一覧

雑感エッセー

私は叔父のマンションにいって体操競技に関する資料を貸してもらいたいと考えている。まず『体操競技のコーチング』金子明友著,大修館書店。そして岸野雄三先生の『序説運動学』などである。なぜ,これらの資料がいるのかというと私は体操と陸上のコーチに…

雑感エッセー

『陸上競技のコーチング』と『身体知の形成』という本を読みこんでいる。私には陸上競技と体操競技のコーチになりたいという夢がある。そのために本を熟読しているが,まったくもって机上の空論になっている。このままでは実践に生きる「スポーツ運動学」が…

ゲーテの形態学とはなにか

スポーツ運動学においてモルフォロギー的考察法は重要な位置を占めている。ここでは金子明友,高橋義人,三木成夫の知見を借りてその方法論を浮彫りにすることを主題とする。まずは金子の『わざの伝承』第3章2ゲーテの形態学のゲーテの自然科学からモルフォ…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその11』

それから数日後、G君から返事が来た。詩の応酬だった。私はその詩を読んでげらげらと笑った。これはこれはたいした正義をろうしている。言葉のボクシングだ。だから私は小説を書くのだ。誰にも頼らない文学を。唄を歌うように朗々と。希死念慮っていう奴は逃…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たち12』

私はG君の詩にメロディーをつけた。「宮澤バンド」で歌うためだ。コード進行表をつくるだけだった。私は楽譜を読むことができない。ギターをさわりながら、かりかりと2B の鉛筆で神に祈るように書いていった。そしてアンプとエフェクターの調子をたしかめて…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその10』

私は詩と小説を書くことでなんとかもちこたえていた。そして生ギター。これがなかったら私は希死念慮にうなされていただろう。太宰治と宮沢賢治のなかに自己を見出し、そこで他者との交歓をはかろうともがいていた。自己陶酔の小説を書かないためにもテクス…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその9』

「怠け者の青春」 怠け者の青春だ。 私の書く小説はこれに限る。 すべてのものたちが炬燵のかたつむりになり、何事もしない。 音楽や哲学を生業にして自分の世界にひきこもっている。 他者の世界の介入がない。 私はいつも朝がくると絶望する。 布団からでて…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその8』

私は落語とギターと太宰治に傾倒するようになった。市立図書館で三遊亭円朝全集をひもといてみたり、三遊亭圓生や古今亭志ん朝の落語をCDで聴いたりした。檀一雄は『人間・太宰治』のなかで太宰文学は落語に影響を受けていることを後世の批評家はこころにと…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその7』

アナガタヒロシがただの言葉の羅列を書いていたらワタナベマリコがパソコンを覗き込み、「これって歌になっているじゃな〜い」と突然歌いだした。ワタナベマリコは不可思議なキャラだったが、良妻賢母を育てるためのミッション系女子大学に通うお嬢様。ベー…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその6』

私は音楽を聴くと自然と文章を書くことができるようになっていた。斉藤和義とチャイコフスキーの『くりみ割り人形』は執筆に欠かせない。頭がもやもやとした陽炎のなかで書いている。明確なイメージというものはない。もしかしたらこれは作曲に近いのかもし…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその5』

私は朝早く起きて執筆することが好きだった。夕方の6時30分にはもう寝てしまう。そして午前0時に起きて執筆活動をしたり、Twitterをやったりした。バンド活動の新聞を書くこともやっていた。バンド活動にはこうしたこまごまとしたことが必要なのだ。G君とは…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその4』

私はドストエフスキーの思想を宮沢賢治バンドにもりこもうとしてボイスレコーダーにドストエフスキーの『罪と罰』を吹き込んでいた。長く登場人物も多く私はめげそうになりながら吹き込みを続けた。そのあいだにバッハの『ゴールドベルク変奏曲』を聴いたり…

『臨床哲学エッセー ボイスレコーダーと読書』

最近、沼津市立図書館で借りてきたギリシア悲劇をボイスレコーダーに吹き込むことが趣味になっている。『オイディプス王』と『トロイアの女』を吹き込んで繰り返し聴いている。Twitterをやりながら聴くことができるのでものぐさなぼくでもなんとか血となり肉…

『臨床哲学 アクネトードと私たち』その3

私は小説家で一週間の出来事を小説にして書いていた。そのために宮沢賢治のバンドのライヴやスタジオ録音に足しげく通った。バンドのリーダーはボイスレコーダーに宮沢賢治の詩を節をつけて吹き込んでいた。また、オリジナルのメロディーも吹き込んであり、…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たち』その2

私はドストエフスキーと論争をしたことがある。彼はてんかんに苦しんでいた。同じ精神疾患を抱えている者どうしだったので話がはずんだ。このことはアクネトードもよく知っており、トルストイとも友人の間柄だった。細君のMにはアクネトードは見ることができ…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たち』

私は保育園で体操を教えていた。昼間は教師。夜は作家の二重生活で生計を立てていた。小説を書くことほど難しいことはなかった。また、保育園の園児たちも身体を動かすことが苦手な子が多かったので教えることは困難を極めた。私にはKという先生がいた。K先…

『臨床哲学エッセー 思いついたことなど』

ぼくは四ツ谷にある大学に行きたい。そのために受験勉強をしている。英語がにがてなのでかなり困っている。ある日、東京の武蔵境に従弟の高校入試の勉強を教えるために遊びがてら行って来た。母は駅前でプリンとケンタッキーを買った。そのプリンとケンタッ…

『臨床哲学小説 亡霊にとりつかれたクラタカソウスキ』

クラタカソウスキには亡霊がとりついていた。クラタは本を読むのが好きな青年でドストエフスキーの『悪霊』を読んでいた。しかし、あまりにのめり込みすぎて東方正教会に入信し、その教会で亡霊のアクネトードにすっととりつかれてしまった。クラタは帝都大…

運動モルフォロギーとはなにか? 考え方とその方法についてその①

運動モルフォルギーの基本的な考え方を金子明友、高橋義人、三木成夫の著作をとおして追求または追思考していきたいと思うこのことがスポーツ運動学だけでなく、医学や哲学の分野にまでひろがっていくことを筆者は密かに願っている。 金子明友はクルト・マイ…

マイネルが遺した『運動学』とはなにか

故クルト・マイネルは『スポーツ運動学』を上梓してからもう何年もたつ。日本に紹介された金子明友訳の『マイネル スポーツ運動学』は東ドイツ出版のせいか思想がかなり「歪んでいる」ことは否めない。ここに金子明友先生のはしがきを引用することによって『…

禅とヨガ

京都に復学したら禅寺で坐禅に打ち込もう。ただ座って「物となって物を照らす」 ような境地にいたるまで「自己をみつめ」慈悲深い魂を養うことにする。そして、京都大学か同志社大学の体操競技部で体操の修練を積んでいきたい。 現在、自宅では接心を15分〜3…

臨床哲学小説 『青い森のなかで』

青い森のなかで大嶋貴光は小屋を建てて暮らしていた。大嶋貴光は詩や小説を書いて生計をたてていた。青い森には池と小川があった。小川からは東都大学へとつながる道があった。貴光は東都大学で哲学のなかの美学を学んでいた。貴光は大学で文章の書き方を博…

メールカウンセリングと小説

統合失調症にかかると健常者の人とは違った体験が身に振りかかってきます。私はそれが嫌でTwitterでつぶやいたり、フォロワーのみなさまに疑問符を投げかけている。メールでカウンセリングを行おうと考えた。なぜなら、私自身のこともよくわかるようになるし…

明けましておめでとうございますとツイ友と勉強

新年が明けてもう10日以上すぎているというのにブログの更新が滞ってしまってもうしわけありません。私は統合失調症と鬱病を患っており毎日沢山のお薬をいただいて生活しております。起きる時間が健康のバロメーターらしく朝7時30分に起きると絶好調。昼12…

プラトンとホメロスとジェームズ・ボンド

プラトンの作品である『テアイテトス』とホメロスの叙事詩である『オデュッセイア』と『イーリアス』を精読している。私にとって精読とは素読にちかく、声に出してよむことだ。ホメロスは今でいうシンガーソングライター。竪琴を弾き流しながら英雄叙事詩を…