2011-01-01から1年間の記事一覧

音楽の調べ③

ブラームス交響曲第1番は重厚な弦楽から始まる。そのうち明るい旋律がとびだしてきたり、リズムが硬いなかにもやわらかさがある。荘厳なオーケストラの響きはベートーベンに似ているが、この曲はベートーベンを意識した曲であり、「ベートーベン交響曲第1…

音楽の調べ②

最近よく聴くようになった音楽はベートーベンとバッハにあわせてマーラーやドボルザークである。主旋律のなかに西洋音楽の伝統が息づいているが、ユダヤ教の影響からボヘミアンなリズムも聴きのがすことはできない。ジャズの要素満載なのだがなにかうったえ…

音楽の調べ その①

このところバッハとベートーベンばかりを聴いている。バッハとベートーベンは違った点がおおいにあるが、「かっちり」しているところはすごく似ている。まるで家が建っていくように荘厳な響きを魂の奥底まで響かせている。バッハは対立法とよばれる手法によ…

<私>とバイオリン その①

私はバイオリンを弾いている。バイオリンの美しさは「音楽の神」が宿ることだろう。いずれはバイオリンあるいはピアノ用に作曲をしていきたいと考えている。それから、私は指揮の訓練をすることによってオーケストラを指揮していきたい。 そのオーケストラは…

フルトヴェングラーと<私>

フルトヴェングラーと<私>は父と子のような関係性がある。そのおだやかなでありつつ激しい音楽はなることをやまない。とくにベートーベンの交響曲第3番「英雄」はさながらロック・ミュージックを想起させる。フルトヴェングラーは故人だが、その音楽は現…

体操論⑤

体操の基本は「倒立」である。壁倒立をやるときには、腹を壁にむかってしなければならない。そして「白樺のポーズ」(クラシック・バレエでは第一のポーズ)で<美しく>静止しなければならない。そこから発展すると伸腕屈身力倒立をやることができる。肩帯…

体操論④

日本人の伝統にのっとった<動きかた>は日常の所作にあらわれている。それはユーグリッド幾何学に表現されるものではなく、<意味のある動きかた>であると思われる。その<意味のある動きかた>は「日本的な美」だと言いきれることができる。 倒立をとって…

体操論③

私は陸上競技のコーチングと体操競技のコーチングが「こつこつ」とやることについて非常に近いものがあると感じました。「こつ」を書きとめることは非常に大切なことで、<倒立で爪先が割れているから気をつけよう>とか、<膝が割れているので気をつけよう…

体操論②

フェルマーの最終定理はピタゴラスの定理と関係がある。アンドリュー・ワイルズがフェルマーの最終定理を志村・谷山予想とモジュラー形式と岩澤理論をくしして証明に成功して以来その証明が定説になっているが、素数やユーグリッド幾何学を応用してアンドリ…

体操論①

私は体操競技をやっていきたいと考えています。「美しさ」を求めて<きめ>や<冴え>をしっかり意識して体操競技をやっていきたいです。このことは量子力学を考察する「イメージ」を高めていくことにつながると考えています。叔父が大学・大学院時代に体操…

考察していきたいことについて

私はフェルマーの最終定理とリーマン予想について生涯を通して考えてみたい。両者は一見、違った問題にみえるが、素数というリボンで結びつけられている。また、アインシュタインの特殊相対性理論および一般相対性理論についても空間と時間という観点から数…

哲学とは何か(生きる意味とは何か)

自分は恋人のことわかっているけど、理解していないじゃないか、などのこと、すなわち当たり前のことを問う。哲学的体質の人は10人にひとりの割合で存在している。けんかしたときに「正しい」とは何だろう?と考えるすなわちWhat is X?の問いをたててしま…

哲学のなかの倫理学とは何かを問う(What is X)

哲学のなかに倫理学という学問がある。生きるためにはどう「すべき」かあるいはどう「すべし」かを問う学問である。臓器売買は倫理学のなかで正しいのかどうか、人工中絶はほんとうにただしいのかどうかをむかしの哲学者の文献をあたりながら「考える葦」で…

哲学のなかの倫理学(自分とはなにか)

自分とは何かという問いに私は哲学科の門をくぐった。そのうちに人間関係についてかんがえるようになり、どう生きればより善く生きることができるのか考えるようになっていった。私は元来、人見知りの性格で人間関係があまり円滑にすすむことはない。 舌足ら…

水谷修先生のメールより

水谷修先生へ 上智大学の神学部の先生と哲学科の先生に現在の目標を書きました。 「キリスト教のあたたかさ」で精神疾患をもつ患者のケアや、 認知症のケアそしてターミナル・ケアについて深く考えているのですが レスポンスをしてくれる大人がいないのでメ…

水谷修先生へのメールより

水谷修先生へ哲学科には特異なキャラクターがぞろぞろとあつまってきます。 そのなかで特異なことをやって思索を一歩ずつ着実に実行していくのですから、 ぼくはそこが大好きです。大谷大学と上智大学の哲学の雰囲気は ぼくにとっては上智大学の哲学科のほう…

バレエのこと

私はクラシック・バレエの「美意識」について倫理学的な問題もからめてこうさつしていきたい。クラシック・バレエにはストーリーがあるので、ゆっくり、着実にファンタジー世界を旅していこうと思う。そして、クラシック・バレエは西洋の文化であったが、日…

「小説についての考えかた」

小説には様々なタイプがある。小説ではないにしろ小説を脚本家しろそれからそれから小説でで生み出せない葛藤は 筆舌につくしがたい。 私が発表したい『倫理学者と哲学者』は原稿用紙6枚かくことができました。

ラカンメモ

ラカン『エクリ』1ステッチノート その一 ☆鏡段階 鏡をとおして自覚する。☆チンパンジー(松沢哲郎先生と話し合いたい)☆生後18日 同一化のひとつ。☆また、口にきてな状態になると自分のまた。まだ、☆言語活動には<わたし>がひつよう。

『まわる神話』について 2

『まわる神話』は立体的な小説でトルストイの『戦争と平和』を神話風に書き換えた物語りである。また、ファンタジーの部分ではハリー・ポッターの作風を活かすことにする。文体はオリジナリティあふれるものでありながらも、桐野夏生さんの書いた文体に限り…

まわる神話への道 2

火村は『まわる神話』を書くためにいろいろな資料を読みまくり、頭のなかで整理していた。柱になるのはトルストイの『戦争と平和』だったが、その周囲にミヒャエル・エンデや桐野夏生の作品が文体に「にじみ出て」いた。 書くいとなみは血を原稿にたたきつけ…

物語の時間と日常の時間

われわれは≪日常の時間≫のなかで生きている。映画や小説のなかに<入り込んでいる>と≪日常の時間≫がまったく失われてしまいそうに思えるが、物語のなかで想い出す、そう、他者がファンタジーやミステリーの起爆剤としてうわっと想起するすることは一度や二…

『倫理学者と哲学者』2

哲生はトルストイの『戦争と平和』をファンタジーノベル『まわる神話』に書き換えようとしていた。哲生は小説を書くことが楽しくてたまらなかった。哲生は学生の身にいながら16歳でデビューし、哲学者ジャック・バロンと友愛の関係だった。トミコさんは編…

『まわる神話の道』

秀村は魔法の扉をあけかかっていたが、なかなか開けることができなかった。秀村は小説家で自宅のパソコンを使って小説を書いていた。自宅にはちいさいゴブリンがおり、ゴブリンが原稿のゲラをチェックしていた。魔法の扉は秀村のこころの深くにあった。ゴブ…

まわる神話について

『まわる神話』を執筆するにあたってトルストイの『戦争と平和』を参考にして執筆していくことにします。そして、<物語の時間性>にポイントを置くためにポール・リクールの『時間と物語』を精読しながら書いていくことにします。 そして、現在、執筆してい…

『Zの日常』

Zは外務省に勤める役人だった。主な仕事は会計公務をやっていた。昼は会計公務の仕事をし、会計公務の仕事が終わると黙々と自宅で小説を書く日々が永遠と続いていた。 ある日、友人のYから革命の演説をしたいので演説用の原稿を書いてほしい、と依頼があった…

『演劇と小説家』

哲村は演劇をやっており、若生は6畳間のアパートに住んでいた。妻はヨウコさんと言って、妻もまた小説を書く仕事をやっていた。 ある日、哲生は小説を書くことがいやになると、妻の話を聴き、新しい小説を書くための朗読と二足の草鞋として仕事をやり続ける…

『存在と時間』ハイデガーと『時間と物語』ポール・リクール

私は『存在と時間』の原書であるSein und Zeitをノートブックにかきうつし、ポール・リクールの『時間と物語』を精読することによって<物語りのなかの時間>について考察をすすめていきたい。このことは今後の創作活動にもつながるとおもわれる。ファンタジ…