或るエッセイ3

私はいつのまにかシューベルトの『冬の旅』を聴いていた。小説を書くことをなりわいとしている私にはシューベルトの『冬の旅』はバイブルや聖典のようなものだった。休学しているあいだは生きがいのようなものがなかなか見いだすことができなくて苦悩していた。私は小説やエッセイを書くことによってその隙間を埋めていった。文化的な雪かきなのかもしれない。どこに行くこともできず、ただひきこもって文章を書いていた。

苦悩を文章化することによって雪かきやこころのなかを大掃除するのだ。そのいとなみは並大抵のことではない。自己の内面を吐露していくいとなみに直結しているといっても過言ではないだろう。よせてはひく波のように書きつづっていく作業。なかなかぬけだすことができない暗いトンネルをゆっくりゆっくりと歩いていくようなものだ。

若いときの時間は速くすぎさっていく。そのすぎさりかたは高速道路すばらしいスピードでかけぬけていくことに近いのかもしれない。しかし、私の生きている時間はゆっくりと流れていく。語学の学習のために聴きこんでいるシューベルトの歌曲やビートルズはゆっくりと身体のなかにしみこんでゆく。

冬に種をまいた種たちはゆっくりと根をはり、春になるとようやく花を咲かせることになる。私の花はいつ開くことになるのであろうか。時間が遅く流れていくなかで、苦悩と向き合いながら今日もエッセイや小説を書いていく。