『臨床哲学エッセー』 深夜のエッセー

 私は書くことが苦手である。どうあがいてもなかなか思うように書くことができない。いいアイディアが浮かんでもあぶくのように消え去ってしまう。そんなときは無意識や詩のことを考えるようにしている。詩はワインのようなものだ。<言葉にならないこと>を<言葉になるようにするいとなみ>それが、詩の存在理由にあたる。
 私は語学が苦手である。とくに英語を自由自在に話したり、書いたりすることができない。語学ができないかわりに日本語で思索することにした。
 エッセーは自由なものである。言葉の機微をすくいとって書いていく。それは大抵深夜におこなわれる。ナンセンスな言葉の数々であってもいっこうにかまわない。深夜の不安をかき消すために私は書いている。
 わたしのエッセーは深夜のラジオ番組のようでありたい、と願っている。それは誰か大切な人に手紙を送る手紙のようなものだ。他者の声を耳そばだてて聴き、その言葉の裏を書きとめるようなエッセーを書いていきたい。それはとても静かな営みである。深夜になると時計が気になって仕方がなくなるときがある。<しん>とした空気があたりをつつみこんでいく。それはとてつもなく<重く>眠れない日のようでもある。明るいことはなかなかエッセーに書くことはできない。ひとつのエッセーを書くと精神のエネルギーが枯れてしまうためだ。
 詩は言葉のなかでも純粋なものだと思う。<書きたいこと>を自らの思想によって表出させていくのだ。私は幼いときから詩を書くことが好きであった。詩は言葉の自由である。このエッセーも詩のように書いていきたい。