2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

『臨床哲学エッセー』「何故、私は哲学するようになったのか」

私はものごころついたときから本を読むことも好きだったし、書くことも好きだった。日常のつまらないことに疑問を持ち探偵小説を読むことも多かった。とにかく多くの時間があったのだ。友だちと野球をしてすごす時間よりも想像力をふくらまして本を読んだり…

或るエッセイ4

「書くこと」は内面をさらけ出すことだ。それはひとつのいとなみでもある。私は「書くこと」が日常的行為になればいいと望んでいる。ファックス用紙に2Bのえんぴつによって<ひっかく>ことによって「書くこと」を定着させるのだ。このことは文体の精度に…

『小説家をめぐる冒険』「何故、人は生きるのか」

私は知らないあいだに小説を書いていた。「何故、人は生きるのか」という重いテーマをあつかった小説だった。それまで私は小説というものを書いたことがなかったが、書いてみるとすらすらと書くことができた。本を読むこと特に小説を読むことが好きだった。…

一私小説家の弁明

ながいあいだ私は小説を書いて来た。小説を書くことは内面を吐くことである。私は不眠症に苦しめられて来た。それは外面的な不眠症ではなく、内面的な不眠症である。この原稿はファックス用紙に2Bのえんぴつでひっかかれて書かれたものである。不眠症は「…

『小説家をめぐる冒険』『クラタカソウスキ』

私はクラタカソウスキといっしょにすんでいる。クラタカソウスキとは本の山のことである。なかなかクラタカソウスキは仕事の助けにはなるが、邪魔者扱いされることもあり、大変迷惑なことがある。しかし、クラタカソウスキは小説を書くときに大変便利な働き…

或るエッセイ3

私はいつのまにかシューベルトの『冬の旅』を聴いていた。小説を書くことをなりわいとしている私にはシューベルトの『冬の旅』はバイブルや聖典のようなものだった。休学しているあいだは生きがいのようなものがなかなか見いだすことができなくて苦悩してい…

『小説家をめぐる冒険』『音楽を聴きながら』

私は苦悩のなかにいた。ゆうじんKは小説家で語学が堪能だった。私は仕事でエッセイを書いていた。音楽を聴きながら。私にとって仕事中に音楽を聴くことはなくてはならない行為だった。私は音楽に集中していたのでドイツ語もフランス語もはなすことができな…

『小説家をめぐる冒険』「私小説のゆらぎ」

私は書くことが好きだ。むかしから本を読むことが好きだったのである。Kは大学を卒業して編集者になった。私は沼津市に生まれた。田舎の町だが、マグロがおいしい。私とKはおさななじみだった。私は大学を休学していて「生きづらさ」を感じている。何をど…

或るエッセイ2

僕は指揮者になることが夢だ。そのために毎日、ヴァイオリンの練習と読譜の練習をしている。ヴァイオリンの練習はまずまずだったが、読譜の練習はいまいちだった。僕は大学を休学しているので大声を出すことはできない。しかし、小さな声でささやくことはで…