『臨床哲学エッセー』<在る>とは何か?

<在る>とは何か?それがわからなかった。どうしてこんなに不安を感じるのだろう。時間のためか、<在る>ためのせいなのか。詩を書くこともできずに<ぐずぐず>している。学び舎がとても恋しい。日常のなかで<在る>ことを問うことは少ない。自動筆記のように「ものを書く」。そうせざるをえない不安があるのだ。時計のかちかち音が時間を刻々と刻んでいく。生きていくことに少し疲れているのかもしれないが、ゆったりと時間は流れていく。えんぴつでファックス用紙エッセーを書いている。「ものを書く」ことはそうたやすいことではない。反復しながら転回していくジャズのようだ。もう四月となりげんなり感がもやもやとただよっている。<時の流れ>がつよくぼくをせめたてていく。そのためにぼくは「ものを書く」。<時の流れ>はおだやかにすぎていく。なかなか「もの」になることはない。いったい誰が見ているのだろうか。

<在る>ことの不思議さはわすれることができない。それはワインの澱のようにたまっていく。それぞれのコミュニティーのなかで人と人との間柄がとりかわされていく。その<時のながれ>は濃密なものだ。そのことを「ものを書く」ことでげんなり感をうすらいでいく。そのうすらぎは海のようだ。

ぼくは音楽を作曲するように文章をつむぎだして「ものを書く」ことにしていきたい。そして、ぼくは大きなコミュニティーに参加していきたいという無意識の欲望がある。そのことも<在る>ことの不思議につながっているとおもわれる。