2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

『臨床哲学エッセー』 エッセーという習作

エッセーという試みは私にとってなかなかなじむことができない。感覚が明るい方へといくことができないためである。私は現在、カフカの『城』という小説を精読している。この小説は<感覚が暗い小説>であり、読み進むほど私の肌理があらわになってくる。見…

『臨床哲学エッセー』 深夜のエッセー

私は書くことが苦手である。どうあがいてもなかなか思うように書くことができない。いいアイディアが浮かんでもあぶくのように消え去ってしまう。そんなときは無意識や詩のことを考えるようにしている。詩はワインのようなものだ。<言葉にならないこと>を…

『臨床哲学小説』 私とM

私は作家でそこそこ売れている作家だった。Mは児童文学作家で長編の作品を書くことを得意としていた。私とMとの出逢いは書けば長くなるが、一応書きとめておくことにする。それは電車のなかだった。私がノートブックに小説のプロットを書いているとMが話…

『臨床哲学小説』 私とK

なかなか小説が書けない、とKは悩んでいた。Kはいつも深夜の暗い部屋で原稿を書いていた。Kは哲学書を音読することがひとつしかない趣味であった。私はカフカの影響を受けてKと同じく作家になった。六畳間の古びたアパートでえんぴつと万年筆を使いなが…

『臨床哲学エッセー』 私とフランツ・カフカとドストエフスキー

私は文筆家のフランツ・カフカを尊敬している。なぜならば、カフカの書く文章はどことなく不安定で世界から孤立している印象をぬぐえないためだ。大きくなった自尊心がそのままとぐろを巻いている。しかし、そこには大きな光が表現されている。本の世界にど…