2013-11-01から1ヶ月間の記事一覧

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその11』

それから数日後、G君から返事が来た。詩の応酬だった。私はその詩を読んでげらげらと笑った。これはこれはたいした正義をろうしている。言葉のボクシングだ。だから私は小説を書くのだ。誰にも頼らない文学を。唄を歌うように朗々と。希死念慮っていう奴は逃…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たち12』

私はG君の詩にメロディーをつけた。「宮澤バンド」で歌うためだ。コード進行表をつくるだけだった。私は楽譜を読むことができない。ギターをさわりながら、かりかりと2B の鉛筆で神に祈るように書いていった。そしてアンプとエフェクターの調子をたしかめて…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその10』

私は詩と小説を書くことでなんとかもちこたえていた。そして生ギター。これがなかったら私は希死念慮にうなされていただろう。太宰治と宮沢賢治のなかに自己を見出し、そこで他者との交歓をはかろうともがいていた。自己陶酔の小説を書かないためにもテクス…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその9』

「怠け者の青春」 怠け者の青春だ。 私の書く小説はこれに限る。 すべてのものたちが炬燵のかたつむりになり、何事もしない。 音楽や哲学を生業にして自分の世界にひきこもっている。 他者の世界の介入がない。 私はいつも朝がくると絶望する。 布団からでて…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその8』

私は落語とギターと太宰治に傾倒するようになった。市立図書館で三遊亭円朝全集をひもといてみたり、三遊亭圓生や古今亭志ん朝の落語をCDで聴いたりした。檀一雄は『人間・太宰治』のなかで太宰文学は落語に影響を受けていることを後世の批評家はこころにと…