『臨床哲学エッセー』「何故、私は哲学するようになったのか」

私はものごころついたときから本を読むことも好きだったし、書くことも好きだった。日常のつまらないことに疑問を持ち探偵小説を読むことも多かった。とにかく多くの時間があったのだ。友だちと野球をしてすごす時間よりも想像力をふくらまして本を読んだり、読書感想文を書いたりするほうが好きだった。全体として疎外感を感じて生きていたことは否めない。とにかく外からはめこまれるルールが細かい球技が苦手で仕方がなかった。そのために陸上競技をはじめた。「走ることが好き」だったから、という最も簡単な理由で自分なりにこつこつと練習に参加して、大会に出た。そのときにF君とB君という親友がいて途中からはいってきた親友V君という親友もいた。仲間同士で励ましあいながら練習を観たり、大会を観たりした。
その経験は高校になっても根強く残り、軀をこわしてしまって陸上競技部にはまともに参加できなかったけれども観たり、軀を動かすことができたことは私のなかで大きな財産になっている。
今にして思うと高校時代に無理をしなければ、大会とかに出ることができたはずなのに、と後ろ髪をひかれずにはいられなかったことも正直なところではある。
私にとって現在できることは「書くこと」と「読むこと」である。難しい単語をつかわずに手垢のついていない言葉で表現することがなによりの生き甲斐であり、歓びである。
「哲学を学ぶことはできないが哲学をすることはできる」と誰かが言ったように在野の精神を活かして学び、そして「書くこと」を大切に生きていきたい。