『臨床哲学小説』 Kの物語①

 Kは英国に留学したことがあった。私はいまだかつて日本という場所から離れたことがなかった。Kの話すブリテッシュイングリッシュは英国人からおすみつきをもらっていた。ある日、Kはドイツに行くことになった。Kは作家でカフカの小説が好きであった。Kの書く小説は<倍音声明>のような小説で読む人によりそう小説だった。私は小説を書くこともあるし、エッセーを書くこともあった。Kはカフカが好きすぎて毎日カフカの小説を音読していた。そこから得られるインスピレーションがあるのだろう。祖母はアルツハイマー認知症にかかっていた。同じことを何度も繰り返し話していた。私は大学を休学し、本ばかり読み、ノートブックに小説を書きためていた。Kにとって書くことは生きることだった。Kはいつも<居場所>を求めて小説を書いていた。誰かとつながっていたかったのだ。
 Kは小さな小屋に住んでいた。小屋には本が沢山あり、コーヒーメーカーもあった。Kの愛読書はカフカの『城』や『変身』で自分の人生を重ねているところがあった。小説を書くときは小屋にひきこもって書いていた。Kは幼いときから本を読むことが好きな少年だった。主にドイツ語を話し、読み書きは英語であった。書きためたノートブックはひとつの辞書くらいになっていた。Kはユダヤ人でヘブライ語を話すことができた。Kは夜遅くに小説を書いていた。Kの書く小説は<私>とアルファベットの登場人物が主体となっており、禅問答に近文体となっていた。Kが書く小説は世間では<実存主義の文学>と位置づけられており、<私>とアルファベットの登場人物が「孤独」や「生きづらさ」をかかえながらも対話していく物語だった。
 Kはいつも「不安」を抱えていた。その「不安」を書き消すように手帖に小説のアイディアを2Bのえんぴつで書きこんでいった。小説のアイディアを書く手帖は「カフカノート」と呼ばれており、カフカの写真が手帖にはりつけられていた。空想の世界を細やかな感性で描き出していた。私は「カフカノート」を見せてもらったがそこには英語でびっしりと文字が埋め尽くされていた。「自分のことしか書くことができないんだよ」とぽつりと私に言ったこともあったが、Kが書く小説は間違いなく<自己と他者をつなぐ物語>だった。私が最近読んだ本に『ホビット』というファンタジー小説があった。そのことをKと話してみるとKも同じ書物を読んでいた。「生き方の探求」という視点で私はその小説を読んでいたが、Kはまったく違った視点で読んでいた。Kは「大きな不安」を抱えていた。そのためにファンタジーを欲していたのだった。
 「大きな物語」が失われつつある現代の世界をKは敏感にとらえていた。非日常が描かれているファンタジーのなかでKは考えこんでいたのだった。私はKとの語り合いのなかでファンタジーの重要性を指摘した。Kはいつもファンタジーを求めていた。てのひらサイズのファンタジーだ。「不安」がおそってくるといつもノートに物語を書いていった。
 Kは身体論にくわしかった。Kは体操競技をやっており、研究者でもあったのだ。いつもコツを書きとめ、イメージについて何本かの論文を書いたこともある。現象学を学んでおり、声を出してメルロ=ポンティフッサールの著作を読んで現象学を学んでいた。理論と実践が噛み合った身体論をつねに目指していた。いくつかの論文も書いており、海外で評価されていた。そのうえ重視していたのが臨床哲学だった。臨床哲学は様々な問題を哲学の知見から解決するまでじっと<待つ>学問だった。
 Kは自己の「不安体験」を臨床哲学を通してなんとか生きていた。私にKは自己の「生きづらさ」をせきららに語ったことがあった。Kは作家で研究者ではあるものの抱えているものが大きかった。Kはバルバルナスという名の友人がいた。Kとバルバルナスはいつもいっしょに仲良くしていた。しかし、いつもいっしょにいても<孤独>からは逃れることはできなかった。Kはバルバルナスに「不安」を打ち明けられずに共にすごしていた。その「不安」とは夜にしっかりと眠ることができないというものであった。まわりにはちいさな「不安」かもしれないが、Kにとっては大きな問題であった。
 私はスポーツ運動学に関心があり、著作もいくつか読んでいた。バルバルナスも運動学者で体操競技をおこなっていた。コツを書きとめ、イメージトレーニングを重視していた。ドイツの運動学者であるクルト・マイネルが書残した『マイネル スポーツ運動学』は座右の書となっていた。小説を書くことはほとんど内容が体操競技関係に絞られていた。それでも私は体操競技の経験がまったくなく、体操競技をやる「場所」もなかった。Kやバルバルナスはしっかりとした「場所」があり、現象学的ものの見かたで体操競技をみつめ、実践していた。
私は体操競技をはじめるにあたり、基礎体力の強化につとめた。ラジオ体操にはじまり、コアトレーニングやクラシック・バレエのエクササイズを始めた。現象学的なものの見かたをするために『現象学研究ノート』をつくり<コツ>や<カン>を書きとめていった。その考え方はフッサールの『イデーン』にくわしい。私は<身体知>に関心を持ち、金子明友氏の著作を精読していた。それから、基礎体力の向上のために腕立て伏せ、腹筋、背筋を30回×3セット行っていった。そして、倒立を1分間静止できるようにしていった。現象学的ものの見かたとは、先入見取り払って現象の本質を見つめることだ。そのことを中心テーマに『現象学研究ノート』に書き進めていった。
私は現象学者の第一人者エドムント・フッサールと出会うことにより救いを受けることができた。フッサールの思想は現象を本質まで見さだめることにより深化させてきた。Kもフッサールの思想にかぶれていた。日常の「不安」を埋めるためにKはフッサールの『イデーン』を音読していった。<自己と他者の関係>をまさぐる小説を書きたかったためだ。気が短いこともあっていつまでも書けない小説にいらいらしていたが、なんとか書きつづけることができた。私は体操競技のことが知りたくて加藤澤男氏にメールを出した。加藤澤男氏は内観することにたけている研究者である。<できる-できない>のはざまで悩んだ選手を何人も見つめ続けてきた。私は内観することは<書くこと>によって通じているのでそのことをメールで伝えたかったのだ。深夜にノートブックに万年筆でひっかくことにより「臨床哲学」について考察することができるきっかけになれば、と考察している。とりわけ身体の<わざ>の問題は多面的にとらえることができるが、バイオメカニクスの問題からはできない問題を現象学的観察眼によって見つめ続けていきたいと思っている。