2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

『臨床哲学エッセー』「書くことは生きること」

ぼくにとって書くことは生きることだ。ファックス用紙にえんぴつをつかって<ひっかく>ことによって自己の内面をさらけ出していく。エッセーはぼくにとって生き甲斐でもあるし、相棒のような存在でもある。内面を見つめる行為としてのエッセーは「書くこと…

『臨床哲学エッセー』舞踏とはなにか

舞踏とはいったいなんであろうか。うつ病と統合失調症のなかで<生きづらさ>をかかえている私は「語る」ことに抵抗がある。そのために「語る」ことのない舞踏に関心をもっている。宇宙のなかでの広がりが舞踏のなかで表現されている。舞踏にいたる道のりは…

『臨床哲学エッセー』<在る>とは何か?

<在る>とは何か?それがわからなかった。どうしてこんなに不安を感じるのだろう。時間のためか、<在る>ためのせいなのか。詩を書くこともできずに<ぐずぐず>している。学び舎がとても恋しい。日常のなかで<在る>ことを問うことは少ない。自動筆記の…

『臨床哲学エッセー』2「<聴くこと>と<待つこと>」

「書くこと」は軀の思想とつながっていると思われる。なぜならば、こころと軀が直接的につながっているためである。軀を鍛えることによって文章もまた鍛えられることになる。そして、<聴くこと>もまた軀が強くなければよりよく<聴くこと>はできない。<…

『臨床哲学エッセー』「音楽と軀」

音楽と軀は密接にからまりあっている。クラシック・バレエにおいて音楽を聴きながら踊ることは最も大切ないとなみである。両耳を貫通するように音楽を聴くことによって音楽を軀にしみ込ませるのである。クラシック・バレエは年齢を問われない芸術である。音…

『臨床哲学小説』「それぞれのなりわい」

私は<生きづらさ>を感じており、友人のKにそのことをうちあけることにした。Kは小説家でいろいろなことを知っていた。私は古い音楽から作曲することをなりわいにしてきた。Kはフランス語で詩や小説を書くことができた。Kはむかしバンドを組んでいたが…