エッセイ『神との雑談』

私は遠藤周作の『沈黙』のセバスチャン・ロドリゴの書簡と新約聖書パウロの手紙を読むことにした。母が無神論者で改宗してもらいたいという気持ちが強いためだ。私は統合失調症を患っている。より頼むのは神の御言葉しかない。宣教師には『信徒のための改革派組織神学』という難しい本をわたされた。正直いってむずかしくてたまらないがそこには「救い」を感じる。教会の信徒さんには「愛をもって行動すれば母はイエス・キリストの恵みを得ることができます」と言ってくださる人もいました。

 「神はいるのか」についてまだ疑問を持ちながら信仰生活をおくっている。このブログは私の信仰問答に近い。
夜になると母のために前述の『沈黙』を朗読する。この拙い手記が神の国に入るてがかりになればと思っている。

 最近よく聴く音楽にサラオレインの「セレステ」という透明感いっぱいの歌手のアルバムを聴いている。そこには確実に「癒し」がある。このブログが若い人の眼にとまり枝となり幹になりますように神にいのっています。。

『手記 自然学を求めて』その8

私は四ツ谷にある上智大学と京都にある同志社大学の神学部を受験することにした。統合失調症でじゅけんすることは無謀ともいえるが、私はなにがなんでもやりたかったのだ。神学部に入ったらカールバルトの『教会教義学』を研究していきたい。筑波大学でスポーツ運動学をやることも視野にいれたが、私の目指すべきものはそこにはないと思い辞めることにした。実際に叔父の正孝先生からも推しはなかった。将来は小説を書きながらインテリジェンスの仕事をやっていきたいと思う。

 黒死館では猛烈な勉強が開始されていた。アリストテレスの『形而上学』を音読し原稿用紙のうらに縦型に筆写し、古典ギリシア語版とつきあわせながら解読していった。聖書の研究は田川建三さんの『書物としての新約聖書』を精読していった。

 受験勉強はその合間におこなっていった。東大鉄壁英単語熟語で徹底的に英単語の暗記をつとめた。世界史の勉強は『詳説世界史』という参考書を音読しながら重要な要点をポイントを絞って学んでいった。国語については神学関係の書籍を音読することによって読解力をつける工夫をしていった。これから猛勉強していかなければならない。

『手記 自然学を求めて』その7

おばあちゃんは私立探偵になることにした。Mという依頼人がやってきて失踪した作家を探してほしいと頼み込んできた。おばあちゃんは老人ホームを抜け出すことができないので、最低限の知識をつかって捜索のための推理をはじめた。理論物理学の天才はアリストテレスの論理学の天才でもあった。作家の名前はHと言った。詩人でもあり、古代のギリシアの流れを現代に復権しようと詩を書いてアイドルグループに作詞を提供していていた。量子コンピュータを老人ホームにいるあいだ秋葉原で入手できる材料をメモしたものを私にわたして老人ホームにいるあいだに作成してしまった。量子テレポーテーションのシュミレーションだけでなく、実行することもできたのでMITから見学に訪れる学生もいるほどだった。

 Mの愛読書はレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』だったので私立探偵には特別な思いがあった。レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』は私立探偵のフィリップ・マーロウが警察にかなりひどい目にあいながらも捜査を進めていくという探偵小説でもあり、ハードボイルド小説だ。おばあちゃんは認知症にかかっているのでどこまで捜査ができるのか未知数だったが、話しをしていくうちに信頼関係がうまれてきた。人生には短いあいだでも深い信頼関係が生まれることがある。HとMはバーであった。おたがいモヒートが好きだった。Mも作家志望だったが編集者の病にとりつかれその世界にどっぷりとつかってしまった。

 私といえば黒死館で眠りながら本を読んでいた。物理学の本と探偵小説が主だった。正孝先生には哲学書から眼をつぶったほうがいいという貴重なアドバイスをうけたので読まないようにしているが、カントやアリストテレスがときどき黒死館を訪れるので読まないわけにはいかなかった。とくにカントの『純粋理性批判』は哲学青年の必読書らしくカントが読めとごり推ししてきたのだ。そして、小説の執筆も忘れてはいなかった。モレスキンのノートに2Bの鉛筆でかりかりと書いていった。ミステリを書きこんでいる。原稿用紙裏に書くこともあった。小説執筆のアドバイス小栗虫太郎先生からじきじきにご指導していただいたのでとてもありがたかった。

『手記 自然学を求めて』その6

私は黒死館と言う館にひきこもるときがある。そこで小説を書くのだ。詩も書いたりする。詩はZARD坂井泉水さんをお手本にしている。黒死館にはときどき、哲学者が現れる。アリストテレスやカント、小説家では小栗虫太郎先生だ。黒死館ではいろいろな人形がおいてあってゴシック・ミステリーの世界を呈している。小栗虫太郎先生の助手である法水鱗太郎はペダンディック(衒学的)すなわち博学だが役に立たない知識を豊富にもっていて創作意欲をかきたててくれる。

 アリストテレスはつねに本を書いていた。赤いオックスフォード版の古典ギリシア語でがりがりと哲学書を書いていった。私はアリストテレスファンクラブの会員なのでリデル&スコットの辞典をひきひき英和辞典をかたわらにおいて解読しながら読んでいった。古川春風先生のギリシア語辞典も大活躍した。沼津市立図書館の謎なのだが、豊富にアリストテレス全集がそろっているのに『自然学』だけはなかった。

 私はときどき東京大学にいくことがあった。それは古典ギリシア哲学である『形而上学』を日常の哲学に引き下ろす仕事をやるためだった。大谷大学を辞めたあと黒死館で勉強を続けて西洋古典学会の会員になることができた。学者と指導者の両輪でいくつもりだった。

『手記 自然学を求めて』その5

私は統合失調症を抱えていた。思考の乱れがあるので一貫性を伴った行動ができない。陸上競技でもやり続けることができなかった。そのために理論物理学の勉強をはじめようと思った。K先生や正孝先生にささえられながら。ファインマン物理学や量子力学の教科書が実家に存在したのでありがたかった。こえるべきハードルの設定が高すぎることはいつものことだ。

 私はいつも午後2時になるとウォーキングにでかけることにしている。30分間のウォーキングだ。愛犬の散歩は苦手でいつも母に任せてしまう。途中で引っ張られるのが嫌なのだ。運動というものはこれくらいしかやっていない。ウォーキングをしているときはボイスレコーダーに吹き込んだ本を聴きながら歩いている。しかし、その内容が解っているのかと問われると口ごもってしかない。

 おばあちゃんは差し入れに量子力学の本を欲しがった。朝永振一郎の『量子力学Ⅰ』とⅡを貸した。新しいことを覚えることが苦手なはずなのに理論物理学ことは事細かに覚えることができた。そんな不可思議な日常をおくっていた。

『手記 自然学を求めて』その4

 私は理論物理学に関する詩を書くことにした。お金を払って詩を投稿する団体を見つけたからだ。正孝先生からは「お前は学問に向いていない」とかつていわれたことがある。こつこつ努力することが苦手なのだ。『ファインマン物理学のⅤ量子力学』を原稿用紙の裏に筆写している。これがまた抽象的で難解なもの。もともと私は文系なので数式など火を見るよりも嫌いなのだ。しかし、惹かれてしまう。いったいなぜなのだろう。博識なKさんにいろいろ相談してみると「環境に影響されるため」といっていた。K先生はシンガーソングライティングすなわち歌詞を書いて歌うことが趣味で詩を書くことはおてのものだった。

 「慈雨がふりそそぐ」
 
 雨がしとしと降っている いったいなぜなのだろう 天からの恵みなのか
 
 どうしたら晴れやかな気分になるのかなぁ 永遠の晴れはつづかない
 
 陸上の試合が終わると 慈雨のごとく ふりそそぐ

 君は納得してくれるだろうか 数式のラブレターを ぼくは物理屋

 K

 K先生は理論物理学の研究のかたわら歌うことに真摯にとりくんでいた。社会人チームの陸上競技部に所属しており、専門は長距離で3000m障害を得意としていた。この競技は水郷がありハードルの化け物のようなものを飛び越さなければならない。 風のように走り抜けるK先生は私のあこがれの的だった。私は体重が重すぎて軽やかに走ることができない。

 K先生の専門分野は理論物理学の中でもヒッグス粒子の研究だった。スイスのジュネーブにあるSERNやLHCにときどき通いながら研究を進めている。特殊機関の仕事だった。おばあちゃんもときどきやってくる。

『手記 自然学を求めて』その3

私は英語の勉強のためにボイスレコーダーを使用する。現在はHow To Solve It和訳は『いかにして問題をとくか』をボイスレコーダーに吹き込んで学んでいる。認知症のおばあちゃんに差し入れしたら一週間で読んでしまったので驚きだ。Kさんはギターがすきでいろいろといじっていた。認知症のおばあちゃんにもいろいろと曲を聴かせていた。

 Kさんはファインマンに似ていた。なんでもかんでも自分でやってみないと気が済まない性分でラジオを修理することが得意だった。量子力学素粒子物理学に明るく、MITでもかなり優秀な成績を修めていた。

 私は感情を文章に素直に表現することが苦手だ。大学は中退した。統合失調症にかかってしまったからだ。認知のゆがみと思考の乱れが心理検査で露呈した。小説をブログに書こうとおもったのはつたないことだけど。共感してくれるひとびとがいると信じているからだ。そして理論物理学に関心がある。祖母は昔のことと理論物理学の抽象的な概念を理解することができた。私もまけるものかとファインマン物理学シリーズの量子力学のテキストを原稿用紙の裏に書き写して学んでいる。KさんとはMITに旅行にいくことがあった。Kさんは博士課程をもうすぐ終わるらしくプリンストン研究所にいきたがっていた。

 デイケアにいかなければならないという妙な義務感に私は支配されている。そのために朝、体調が悪くなるめまいに襲われたり、膝に力がはいらない状態になってしまうのだ。身体表現性障害というらしい。身体は正直だ。Twitterでかなり毒をはいている。本当は詩を書きたいのだが、どうやら私には詩を書く才能がないらしい。
眠剤をのんでコーヒーを飲みながら原稿を書いている。馬鹿がやることだ。

 理系の才能がないことは重々承知しているが、できないことに惹かれてしまう性分らしい。おばあちゃんは特別施設老人ホームに入所していることはすでに触れたが、外泊するときは必ずアメリカへ高飛びする。インチキイングリッシュで人脈を構築しているらしく中二病な私にはとうてい理解できない。