『小説家をめぐる冒険』「何故、人は生きるのか」

私は知らないあいだに小説を書いていた。「何故、人は生きるのか」という重いテーマをあつかった小説だった。それまで私は小説というものを書いたことがなかったが、書いてみるとすらすらと書くことができた。本を読むこと特に小説を読むことが好きだった。日記を書くようにして小説を書くとすらすらとかけることもわかってきた。「何故、人は生きるのか」考えてみるとよくわからない。お金のためでもなく、食べるために生きるのはむなしすぎる。

Kは語学にたけていた。そして詩を書くことが彼の生業だった。Kといっしょに「何故、人は生きるのか」という命題について語り合った。空気のような靄が脳のなかいっぱいになっていたが、Kと話し合っていると不思議と靄がすっきりとなっていった。そのうちKは存在について語るようになっていった。存在について話し合うとKはヒューマニズムすなわち人道主義について話の筋が向かっていった。人と人との間柄についてくわしく問うK。私はなにもできずにただただあいづちをうつしかなかった。

詩を口から発するように話すKは私にとってホームズ役のような存在であった。哲学のことはよくわからないが、私は仏教の論書で龍樹が書いた『中論』をよく読みこんでいた。Kとの会話のなかで実存主義があらわれたが、流れるように「何故、人は生きるのか」という命題にもどっていった。

私はKと深い夜をすごしたのちに小説を書いていった。それは3人の登場人物が「存在」について想像力をふくまらせていってひとつの大きな物語を完成させるという小説だった。「何故、人は生きるのか」という命題はこの小説のなかで完結することはないけれども、物語をつくる鋭さから読者に強く訴えかけるよい作品となっていった。