『臨床哲学小説』 私とM

 私は作家でそこそこ売れている作家だった。Mは児童文学作家で長編の作品を書くことを得意としていた。私とMとの出逢いは書けば長くなるが、一応書きとめておくことにする。それは電車のなかだった。私がノートブックに小説のプロットを書いているとMが話しかけてきた。あまりに唐突だったので驚いた。Mは文学の話をすることが大好きだった。また、音楽にもくわしくクラシック音楽やジャズの話をしていた。『ホビット』というトールキンが書いた物語が好きでよく読んでいた。ノートブックにメモを書いていたが、何故原稿用紙ではなく、ノートブックに書くのか、と問いただしたところMはもともと官僚でノートブックに細かな字を書いて仕事をしていたのだった。東京の桜田門外を歩く姿は風をきっていた。
 それに比べて私はかけだしの作家であるので収入が少なく、ほそぼそとアパートで暮らしていた。<小説そのもの>がわからなかった。小説を書くことよりもむしろエッセイを書く方が自らのなぐさめとなった。英語はあまり得意ではなかったが、Mは外交官をやっていた経験から英語がよくできた。それだけでなくロシア語とフランス語を自由にあやつることができた。
 私は現象学に影響をうけた『存在と時間マルティン・ハイデガー著と現象学の根本源泉の『イデーンエドムント・フッサール著を音読している。なぜならば現象学は<ケア>や<臨床哲学>に欠かすことができない思想書であるためだ。ある作家は「これは血だ!血で文学をつむぎだしているのだ」と言った。Mは自問自答しながら児童文学作品を書いていった。本とは正直なもので自問自答しなかった作品は子どもたちの魂に届くことはない。しかし、<考えながら書き>そして<書きながら考えた>文章とは重みを増し、子どもたちの魂に響いていった。