『臨床哲学小説』 私とK

 なかなか小説が書けない、とKは悩んでいた。Kはいつも深夜の暗い部屋で原稿を書いていた。Kは哲学書を音読することがひとつしかない趣味であった。私はカフカの影響を受けてKと同じく作家になった。六畳間の古びたアパートでえんぴつと万年筆を使いながら新人賞のために100枚ばかりの小説を書いていた。えんぴつは2Bのえんぴつにこだわり、万年筆はいつもブルーブラックと決めていた。書くときはノートブックに横書きで書いていた。Kと話をするときはいつも禅問答になってしまった。なぜならば、Kは高学歴で私はKをうらやましく思っていた。私が通っていた大学は仏教系の大学で、Kの通っていた大学はキリスト教のミッションスクールだった。私は軀に直接傷みのない「こころの病」に罹っていた。
 Kは<書くこと>を非常に大切にしていた。Kにとっては生業のようなものであった。「死」について考察した論文を書いたこともある。Kは臨床哲学に関心があり、何度か小説や論文を投稿したこともある。いずれにしてもKは読書家であった。Kは<書くこと>で自らの不安をかき消していたのである。Kの部屋は1LDKの間取りでひろびろとしていた。書きあぐねたときは、部屋のまわりをぐるぐる廻ったり、哲学書を音読することもあった。Kは<時間と人との交わり>について考察し、学会で発表することになった。
 私は小説を書く才能がないのではないか、とKに打ち明け話をしたことがある。それでもKは「書き続けなさい」とぼんやりと言ってくれた。