2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

『詩 詩を欲する者たちへ』

世界のどこかで詩を欲している者たちがいる それは海の中へ潜っていくようなものだ 月の光のなかで我々は詩を欲している 「ひきこもり」の哀歌なのだ。 遠くへ行かなくても月の光の面影はある カマイタチにひっかかれないように気をつけて シンガー・ソング…

『詩 無意識の鉱脈を求めて』

私は地中奥深く潜っている。外は宇宙空間のようだ。 言葉を探している 深く心に響く言葉を そういうことは詩人にしかできない ボブ・ディランを聴きながら いつ涸れるかわからない無意識の鉱脈を探している 或る人は「神話を読めば詩が書けるさ」と言った 私…

『臨床哲学エッセー 青年時代』

私は高等学校時代を加藤学園暁秀高等学校で過ごした。うつ病になったきっかけは今でもよくわからないままでいる。私は「父親の死」がきっかけでうつ病になったと考えているが、父が生きていた時にはもうすでにうつ病に罹患していた。 父の死は私の記憶に焼き…

『臨床哲学エッセー 幼年時代』

私がこどもだったころ。世界はあたたかみに充ち溢れていた。私の「内なる世界」は本を欲していた。母と祖母は口やかましい存在だったが、なんともいえないあたたかさがあった。物書きになろうと思ったのはちょうどこのころだった。「物書き」正確には「物描…

『臨床哲学エッセー 世界と私の世界とのあいだ』

私は外の世界と「内なる世界」とのあいだにギャップよりも強い何か、を感じながら高校時代を過ごしてきた。夕陽に向かってたそがれて「生きる」とは何だろう。「死ぬ」とはいったい何なんだ、と考えざるをえられなかった。 私の「内なる世界」は外に表現して…

『臨床哲学エッセー 私の小説とエッセーの書き方』

私が小説を書くときは一種のスキャンダルであって何を書こうか直前までわからないことが多い。私の文学の根本をなしているのは詩である。私は高校時代に小説を投稿しようとしたが、まったく駄目だった。そのバネでいつでも駄文を書いているのだろう。お手本…

『臨床哲学エッセー 私の脚本の書き方』

私は将来の目標として映画監督になりたいと考えている。そのために人と人との交渉術を学ぶことを目的にトルストイの『戦争と平和』を熟読し、気になる台詞があったらノートに書き抜きをしている。その書き抜きにたよって脚本を書くのではなく、あらかじめス…

『臨床哲学エッセー ふたりで共に生きること』

私はまだお付き合いをした女性がいない。北野武監督作品映画『HANA-BI』のなかで女性とのつきあいかた、生きかたを学んだと思う。北野武監督の作品には無駄なものが一切なく、撮りたいものだけが強いメッセージを残している。絵画、ピストル、そして車などの…

『臨床哲学エセー マンガと映画』

私はマンガを読むことが好きだ。なぜならば、右脳にここちよい働きがもたらされるためだ。私が読むマンガは主に剣客マンガだが、その剣客マンガ達はかけがえのないinspirationをあたえてくれる。 映画もマンガと同様に好きだ。私は将来の目標として映画監督…

『Kの物語』⑪

私はマンガを描く絵師として生計をたてていた。HBのえんぴつで下書きをし、その上からサジペンでもってペン入れをしていく。映画をつくるにはお金がかかるので挿し絵を描くことで映画製作の資金をつくっていった。マンガのお手本は『るろうに剣心』と『バガ…

『臨床哲学エセー 或る映画監督の日常』

私はマンガを真似して絵を描く絵師だった。模写をする作品は大抵『るろうに剣心』和月伸宏著か『バガボンド』井上雅彦著という剣客マンガばかりだった。小説もいくつかは書いてはいたが世に出ることはなかった。私は大谷大学を休学している休学者でニートだ…

『Kの物語』⑩ 

私は映画監督になりたいと考えていた。親鸞の生きざまを映画化するのだ。そのために私は吉川英治の『親鸞』を原稿用紙に万年筆で書き写している。そして、『Kの物語』は私とKとの魂の遍歴を描いている。映画監督になりたいと思った理由は、原田眞人監督作品…

『Kの物語』⑨ 

私はマンガ文化にはまっていた。そして、英語の勉強に力を入れるようになっていった。文法書を丸暗記するために『総合英語FOREST』を音読したり、『速読英単語必修編』one paragraphを10回づつ音読したりしていた。私はとても英語が苦手であった。特に英文和…