『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその7』

アナガタヒロシがただの言葉の羅列を書いていたらワタナベマリコがパソコンを覗き込み、「これって歌になっているじゃな〜い」と突然歌いだした。ワタナベマリコは不可思議なキャラだったが、良妻賢母を育てるためのミッション系女子大学に通うお嬢様。ベー…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその6』

私は音楽を聴くと自然と文章を書くことができるようになっていた。斉藤和義とチャイコフスキーの『くりみ割り人形』は執筆に欠かせない。頭がもやもやとした陽炎のなかで書いている。明確なイメージというものはない。もしかしたらこれは作曲に近いのかもし…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその5』

私は朝早く起きて執筆することが好きだった。夕方の6時30分にはもう寝てしまう。そして午前0時に起きて執筆活動をしたり、Twitterをやったりした。バンド活動の新聞を書くこともやっていた。バンド活動にはこうしたこまごまとしたことが必要なのだ。G君とは…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその4』

私はドストエフスキーの思想を宮沢賢治バンドにもりこもうとしてボイスレコーダーにドストエフスキーの『罪と罰』を吹き込んでいた。長く登場人物も多く私はめげそうになりながら吹き込みを続けた。そのあいだにバッハの『ゴールドベルク変奏曲』を聴いたり…

『臨床哲学エッセー ボイスレコーダーと読書』

最近、沼津市立図書館で借りてきたギリシア悲劇をボイスレコーダーに吹き込むことが趣味になっている。『オイディプス王』と『トロイアの女』を吹き込んで繰り返し聴いている。Twitterをやりながら聴くことができるのでものぐさなぼくでもなんとか血となり肉…

『臨床哲学 アクネトードと私たち』その3

私は小説家で一週間の出来事を小説にして書いていた。そのために宮沢賢治のバンドのライヴやスタジオ録音に足しげく通った。バンドのリーダーはボイスレコーダーに宮沢賢治の詩を節をつけて吹き込んでいた。また、オリジナルのメロディーも吹き込んであり、…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たち』その2

私はドストエフスキーと論争をしたことがある。彼はてんかんに苦しんでいた。同じ精神疾患を抱えている者どうしだったので話がはずんだ。このことはアクネトードもよく知っており、トルストイとも友人の間柄だった。細君のMにはアクネトードは見ることができ…

『臨床哲学小説 アクネトードと私たち』

私は保育園で体操を教えていた。昼間は教師。夜は作家の二重生活で生計を立てていた。小説を書くことほど難しいことはなかった。また、保育園の園児たちも身体を動かすことが苦手な子が多かったので教えることは困難を極めた。私にはKという先生がいた。K先…

『臨床哲学エッセー 思いついたことなど』

ぼくは四ツ谷にある大学に行きたい。そのために受験勉強をしている。英語がにがてなのでかなり困っている。ある日、東京の武蔵境に従弟の高校入試の勉強を教えるために遊びがてら行って来た。母は駅前でプリンとケンタッキーを買った。そのプリンとケンタッ…

『臨床哲学小説 亡霊にとりつかれたクラタカソウスキ』

クラタカソウスキには亡霊がとりついていた。クラタは本を読むのが好きな青年でドストエフスキーの『悪霊』を読んでいた。しかし、あまりにのめり込みすぎて東方正教会に入信し、その教会で亡霊のアクネトードにすっととりつかれてしまった。クラタは帝都大…

運動モルフォロギーとはなにか? 考え方とその方法についてその①

運動モルフォルギーの基本的な考え方を金子明友、高橋義人、三木成夫の著作をとおして追求または追思考していきたいと思うこのことがスポーツ運動学だけでなく、医学や哲学の分野にまでひろがっていくことを筆者は密かに願っている。 金子明友はクルト・マイ…

マイネルが遺した『運動学』とはなにか

故クルト・マイネルは『スポーツ運動学』を上梓してからもう何年もたつ。日本に紹介された金子明友訳の『マイネル スポーツ運動学』は東ドイツ出版のせいか思想がかなり「歪んでいる」ことは否めない。ここに金子明友先生のはしがきを引用することによって『…

禅とヨガ

京都に復学したら禅寺で坐禅に打ち込もう。ただ座って「物となって物を照らす」 ような境地にいたるまで「自己をみつめ」慈悲深い魂を養うことにする。そして、京都大学か同志社大学の体操競技部で体操の修練を積んでいきたい。 現在、自宅では接心を15分〜3…

臨床哲学小説 『青い森のなかで』

青い森のなかで大嶋貴光は小屋を建てて暮らしていた。大嶋貴光は詩や小説を書いて生計をたてていた。青い森には池と小川があった。小川からは東都大学へとつながる道があった。貴光は東都大学で哲学のなかの美学を学んでいた。貴光は大学で文章の書き方を博…

メールカウンセリングと小説

統合失調症にかかると健常者の人とは違った体験が身に振りかかってきます。私はそれが嫌でTwitterでつぶやいたり、フォロワーのみなさまに疑問符を投げかけている。メールでカウンセリングを行おうと考えた。なぜなら、私自身のこともよくわかるようになるし…

明けましておめでとうございますとツイ友と勉強

新年が明けてもう10日以上すぎているというのにブログの更新が滞ってしまってもうしわけありません。私は統合失調症と鬱病を患っており毎日沢山のお薬をいただいて生活しております。起きる時間が健康のバロメーターらしく朝7時30分に起きると絶好調。昼12…

プラトンとホメロスとジェームズ・ボンド

プラトンの作品である『テアイテトス』とホメロスの叙事詩である『オデュッセイア』と『イーリアス』を精読している。私にとって精読とは素読にちかく、声に出してよむことだ。ホメロスは今でいうシンガーソングライター。竪琴を弾き流しながら英雄叙事詩を…

英語とプラトンの哲学を学ぶことについて

ここのところ体調がおもわしくなく、午前12時におきてしまう。話し相手がいないことが問題だと思っている。ツイッターでツイ友が何人かできたが、深い話ができるのはひとりと限られている。英語の勉強をこつこつ継続している。英語と数学の勉強が死ぬほど…

『詩 詩人の役割』

詩人の役割は読者に日常から離れた世界へと、いざなうことだ。 君とぼくとの間柄のなかで。 詩人は散歩する。 夢想して絵を創りだすためだ。 耳になじむ言葉を撰んで、 ぼくの世界が君の世界とつながっていくことを、 証明するために詩があってもよい。 あふ…

『詩 ワルツ』

バレエのワルツはくるくると回る。 音楽の展開と同じように。 君はどこでその踊りを覚えたのだろうか。 私は闇のなかにいる。 しかし、闇は希望の塊だ。 今日、私は闇の中から這い出ることにした。 希望のなかにいつまでもどっぷりとつかっているわけにはい…

『臨床哲学小説 ある作家の物語2』

ハンスの音楽は宗教的でかなり前衛的な色彩の強い作品が多かった。ギンべラートはその前衛的なところに魅かれていた。ギンべラートは小説を書くときにモレスキンのノートにショートショートを書いていた。書くときは2Bのえんぴつを使うというこだわりがあっ…

『臨床哲学小説 ある作曲家の物語』

貴光は作曲家を主人公とした小説を書いていた。それはグスタフ・マーラーの生涯をモデルにした物語で、主人公の名前はハンスといった。ハンスは感受性が豊かな少年でピアノを習いにいくも自然のなかから作曲するすべを学びとっていった。 夢のなかでハンスは…

『臨床哲学小説 深い森のなかで』

小説家の貴光は小説の取材のために「深い森」と呼ばれている森へ行った。深い森はかなり険しい森だった。夜に出発したので、あたりは静寂と暗闇とに包まれていた。その「深い森」には工藤精一郎が小屋を建てて住んでいた。工藤は小説家だった。小屋の前には…

『臨床哲学小説 黒い森』

私は黒い森に小屋を建てて住んでいる。夜になると周りは暗闇の世界につつまれており、眼をつむっても開いても同じくらいの暗さである。そこで私は妻と一緒に小説を細々と書いていた。妻は週末になると街のほうへ降りていき、ヨガに行って身体を鍛えていた。 …

『臨床哲学小説 或る作家と私』

小説家の山田貴光は古典ギリシアの世界が好きであった。貴光はホメーロスの書いた『オデュッセイア』を暗唱することができたのである。 東都大学で古典ギリシア語を教えていた山田貴光はまだ24歳の最年少教授であった。 私は貴光のことを羨ましく思っていた…

『臨床哲学小説 貴光とその家族』

貴光は小説を書いていた。ロックの音楽ガンガンに流しながら。貴光の書く小説は教養小説がほとんどだった。 貴光には妙子という女友だちがいた。妙子も小説を書いていたが、詩を書くという点で貴光とは一線を画していた。そして、妙子は童話を書き、沼津市立…

『臨床哲学エッセー 無意識の鉱脈を探して』

私は無意識の深いところを描く小説を書いている。それらの小説は深夜になってから書き始める。そのうちそれらの作品をヒントに「沼津の或る一家の物語」としてまとめることにする。フランス文学のマルセル・プルーストが著わした『失われた時を求めて』への…

『臨床哲学小説 夜の物語』

冴子は京都大学大学院でフランス文学を学んでいた。夜になると冴子は小説を書いていた。読んだ本はロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』やマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』だった。これらの作品にかなりの影響を受けている。また、冴子はハ…

『臨床哲学小説 あいだの国』

私はあいだの国に棲んでいた。そこでは皆が煌びやかで仕方がなかった。祭りの前の踊りが催されており、私もその舞踊に参加させていただくことにした。そこにいる長老はフランス語とドイツ語と古典コイネーギリシア語を巧みに操ることができた。しかし、私は…

『臨床哲学小説 深い河のほとりで』

沼津の或る深い河のほとりで、私は小屋を建てて住んでいた。私は純文学の小説のために詩も書いていた。私は詩を書くことのほうが小説を書くことよりも上手にできた。 高校時代から「自分の世界」と周りの「世界」とのあいだに悩み、考えていた。そのために私…