『臨床哲学小説 深い河のほとりで』

 沼津の或る深い河のほとりで、私は小屋を建てて住んでいた。私は純文学の小説のために詩も書いていた。私は詩を書くことのほうが小説を書くことよりも上手にできた。
 高校時代から「自分の世界」と周りの「世界」とのあいだに悩み、考えていた。そのために私は小説家になろうと考え、大学は哲学科に入ることに決めた。
 私は現在、小屋のなかに「引きこもって」私の家族のことを書いた小説を書いている。長編小説になりそうなので、モティーフを井上靖先生の『しろばんば』からもらうために『しろばんば』を書き写しながら「小説の技法」を学びとっている。
 私はうつ病統合失調症を抱えている。長いあいだこれらの病気と向き合ってきた。もちろん、現在でも向き合っている。
 編集者の山田一郎さんは私の良き理解者で、彼もまたうつ病と闘っている。山田さんは小説を書いていて、詩もまた書く。文藝誌にいくつかの詩と小説が掲載されていた。
 ふたりとも夜に原稿を書くことが多く、早く朝方になりたいものだと笑いながら語りあったこともあった。
 私の詩はかなり前衛的な詩で音楽がついてミュージシャンに唄われることも少なくはなかった。私自身どうしてこのような詩が唄われるのかまったくわからなかった。
 私の小説は私の知り合いの劇団が舞台化してくれることが多かった。寺山修司のような前衛的な演劇がとても多く、私はよく演劇を観に行った。小説を書くことに行き詰った時は良い気分転換にもなった。長編小説を書くことはとても骨の折れる仕事だ。プロットをノートに書き込んでいき、そのプロットを元に小説を書いていく。もしくはいくつかの詩を組み合わせて、長編小説として書きあげていく。私はいつもポケットに青いミニノートを持参しており、小説のアイディアが浮かぶとノートに書き込んでいく。とにかく、長編小説を書くということは大変な営みなのである。