『臨床哲学エッセー 思いついたことなど』

 ぼくは四ツ谷にある大学に行きたい。そのために受験勉強をしている。英語がにがてなのでかなり困っている。ある日、東京の武蔵境に従弟の高校入試の勉強を教えるために遊びがてら行って来た。母は駅前でプリンとケンタッキーを買った。そのプリンとケンタッキーは母の姉の家で食べた。従弟はゲームが好きでこまってしまった。勉強の合間に液晶のTVを持ってきてゲームをしだしたのだ。ツイッター仲間で同じ統合失調症を患っていて家庭教師のアルバイト経験があるお方には「ゲームをさせないほうがいい」と言われたこともある。従弟は受験勉強に対して危機感をまったくもっていないので驚かされた。

 ぼくは英語と国語を教えることになった。英語は学校で配布された教科書ワークで国語は古典のワークと都立の高校入試の過去問の論説文を解いた。中学英語をまず教えたのだが、答えをみながらやったのでこんなずぼらな教え方もなかろうにと反論があってもおかしくない教え方だった。ぼく自身も英検3級をめざしているので教えているうちにかなり勉強になった。従弟の集中力はなかなかのもので助言をあたえるとワークの問題をすらすらと解いていった。暗記が嫌いらしく英単語の覚えが悪かったことが気がかりだった。机の上に埃をかぶった電子辞書を発見したので「電子辞書を使うよりもむしろ紙の辞書をつかったほうがいいよ」とアドヴァイスをした。このことはぼくが予備校に通っていたときに英語の先生が言っていたことでもある。

 国語では古典でまちがったことを教えてしまった可能性が高い。松尾芭蕉の『おくの細道』がテスト範囲だったので文語文と現代語訳を比較しながらワークの問題を解いていった。古文単語は埋めないで白紙の状態にしておいた。古文単語集がなかったのでそうせざるをえなかったためだ。現代文は高校入試の過去問から論説文を解いてもらった。半分の正当率だった。最後はニ択にまで問題が絞られるのでそこで本文中どこに根拠となったのか従兄に答えてもらった。なかには消去法で導き出される問題もあったのでその答え方も教えてあげた。現代文の出来具合で他の教科の学力と関連していることがあるので真剣におしえた。問題を解いているときに問題文や論説文に線を引かないで読んでいたので「線をひいたほうがいい」と言った。

 数学と理科と社会は教える事が出来なかった。ぼくは理系科目が苦手もっというと計算が遅かった。そのために高校時代は文系になったのだ。ツイッターなかまで教師をしている方は社会教師だが、現在は数学を教えておられるので羨ましい。

 教師になりたい。もっというと教え手になりたいという願望が強い。一時は他者を上から目線で見下したいだけではないか、と疑問をもったことがあったこともないわけではない。しかし、従弟を直接教える事になって肌感覚で教えることの喜びを感じることができたと思う。そして、また行きたいと思った。