『臨床哲学小説 或る作家と私』


 小説家の山田貴光は古典ギリシアの世界が好きであった。貴光はホメーロスの書いた『オデュッセイア』を暗唱することができたのである。
 東都大学で古典ギリシア語を教えていた山田貴光はまだ24歳の最年少教授であった。
 私は貴光のことを羨ましく思っていた。私も24歳の学生だが、病気により郷里にひきこもらなくてはならない立場であった。大学で貴光と遇うと気恥ずかしい思いをした。
 貴光は友人が多くいたが、本当に信頼を置く親友は3人だけであった。貴光は自らに禁欲を課していた。貴光はなかなかの勤勉者で、一日が終わる頃になると、ホメーロスの詩を暗唱するために音読をしていた。正に“ミニマル・ポッシブル”にふさわしい人物であった。
 私には祖母の正子がおり、認知症を抱えており、私に何度も
「今日は何曜日だっけ?」
「お湯の加減はどう?」
と訊くことがあった。その度に私は答えざるを得ない立場にあった。そして、祖母はデイケア・サービスを受ける事を拒んだ。私は胸のなかで複雑な心境にならざるを得なかった。
 祖母の正子は70歳を超えても、近くの小児科に家政婦として働いているのである。正子はとても自尊心の強い人で、生まれたこのかた人の意見に左右されたことはなかった。
 母の直恵は強烈な個性を持った正子と私をどのような眼差しで見つめているのであろうか。
 いずれにせよ、我が家庭では歯車が狂いながらも愉しく暮らしを送っている。私はその渦中にいる。“ちいさな火宅の人”なのである。
 東都大学には医学部があり、由紀子はそこに籍をおいていた。また、文藝部の部長でもあった。由紀子が読む本はドストエフスキーマルセル・プルーストなど大人らしい本が多かった。
 私も貴光も由紀子も文藝部に所属しており、売れない小説を書き続けていた。部室のなかにはヘーゲル哲学の本や金表紙の全集がそろっていた。そしてアコースティック・ギターが横たわっていた。