『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその7』

 アナガタヒロシがただの言葉の羅列を書いていたらワタナベマリコがパソコンを覗き込み、「これって歌になっているじゃな〜い」と突然歌いだした。ワタナベマリコは不可思議なキャラだったが、良妻賢母を育てるためのミッション系女子大学に通うお嬢様。ベースの腕前はプロをもうならせた。オオシママサタカはG君と同じ帝都大学の哲学科に通っておりアリストテレス哲学を学んでいた。『カテゴリー論』、『命題論』、『形而上学』を読み込んでおり詭弁形而上学において彼を説き伏せる者は誰もいなかった。古典ギリシア語をマスターしており、原書をがんがん読むことができた。ドラムの腕前はピカイチでアリストテレスをモチーフとした楽曲を作曲することもできた。

 私は旧約聖書の『ヨブ記』を舞台化する仕事を受け持った。台本を書かなくてはいけなかったのでアクネトードに相談したら「ヨブとは友人の間柄で交信することができる…少し待っていろ」と言い姿を消した。「これではファウストではないか…」と思っていたら「うんゲーテの悲劇『ファウスト』を取り入れて書くといい」と返事を返してきた。私は岩波文庫版の『ファウスト』と新改訳聖書を見ながらちゃんぽんにして台本を書いていった。

 数日後、舞台『ヨブ記』は福祉センターで「宮澤バンド」のメンバーを集めて行われた。ヨブ役はアナガタヒロシが受け持った。舞台が終わったらバンドが音楽会を開催した。私は一週間ぶりにギターを弾いた。このために練習してきた「春と修羅」という曲をみんなの前で弾いた。途中よれそうになったが、なんとかもちこたえて弾くことができた。

ワタナベマリコはシンガーソングライティングを行っていた。パソコンのワープロソフトを立ち上げて思いついた単語をフロイト自由連想法のように書いていくのだ。それはワタナベマリコにとってセラピーになっていた。東京の都会の喧騒を振り払うように書き連なっていった。ワタナベマリコは大学でダンテの『神曲』について学んでいることもあったので格調高い単語ではなく俗語が単語として並んでいった。 「宮澤バンド」では宮沢賢治の詩の内容を音楽化するだけでなくメンバーが創った歌を歌うこともあった。お嬢様の反抗を歌にこめたこともあった。ワタナベマリコには来るべき時に反抗期が来なかったので大学生の今になって突然反抗期がきた。言葉がほとばしりでるのだった。青春のアルバムの一ページを歌った詞もあれば現代の風刺を混ぜ込んだ詞もあった。ビールをごくごく飲みながら、ユンケルを飲みながらワタナベマリコは詞を書いていった。学業もおろそかにしなかった。ダンテの『神曲』をイタリア語で読みレジュメを書いてみなの前で発表した。ワタナベマリコは大学院に進学するとK先生が指導教官にあたった。K先生の衒学的でどこか人をくったような講義をきいたことがあるのでいつまでもお嬢様ではいられないと思ったこともあったのだろう。イタリア語というマイナー言語に没入し「宮澤バンド」を継続していくためにワタナベマリコは勉学にはげんでいった。