『臨床哲学小説 ある作家の物語2』

 ハンスの音楽は宗教的でかなり前衛的な色彩の強い作品が多かった。ギンべラートはその前衛的なところに魅かれていた。ギンべラートは小説を書くときにモレスキンのノートにショートショートを書いていた。書くときは2Bのえんぴつを使うというこだわりがあった。ギンべラートはアルマの詩を大切に机の引き出しにしまっておいた。ギンべラート自身も詩人として出発したショートショート作家であった。
 ハンスとギンべラートは同じギムナジウムで学んでいたが、ハンスはピアノを弾き早くも音楽的才能を開花させていた。しかし、ギンべラートは癲癇という持病を抱えていた。その強迫観念からギンべラートは文学へとのめり込むようになっていった。
 アルマの詩はドイツ語で書かれており、ホメーロスの影響が大きかった。ギムナジウム時代は勉強がかなりきついものだった。聖書を読むためにギリシア語やヘブライ語、そしてラテン語を学ばなければならなかった。
 ハンスは作曲とピアノとヴァイオリンに熱中していた。長身でこのころからやせ型でかなり青白い手と顔をしていた。濃いコーヒーを好み、なかなか作曲できないと一日に何杯もコーヒーを飲んだりした。性格はかなり神経質でよくあるドイツ人やロシア人をかけあわせたタイプであった。
 ギンべラートは大学教師から「クリティカル・ライティング」と呼ばれる創作の授業を受けており、ショートショートばかり書いていたが、長編小説を書くことも多かった。ギンべラートは神学や宗教の問題が好きで「神の存在」や「魂の不死」の問題を題材に長編小説を書いていた。
 ハンスは元々ユダヤ人であったためにそのコンプレックスを作曲に昇華していった。ハンスはロシアのバレエが好きでヨーロッパの山脈をわたってロシアへと旅に出かけ、ピョートル・イリノイチ・チャイコフスキーが作曲した『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』などのバレエ演目を観ることが好きであった。ハンスはギムナジウム時代にロシア語を習得しており、会話において不自由することはなかった。
 ギンべラートは「神の存在」について考察するときに旧約聖書の『ヨブ記』を良く読んだ。『ヨブ記』にはあまりにも人間的なヨブが何人かの論客たちと壮絶に意見を戦わす場面が多くあった。ギンべラートは福音書である『マタイの福音書』とともにマイスター・エックハルトという宗教家と日本の禅との関わりについて考察をめぐらし、その考察を長編小説に反映させていった。
(つづく)