『臨床哲学小説 夜の物語』

 冴子は京都大学大学院でフランス文学を学んでいた。夜になると冴子は小説を書いていた。読んだ本はロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』やマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』だった。これらの作品にかなりの影響を受けている。また、冴子はハイデッガーの『存在と時間』の読書会に参加したことがあるために哲学の素養もあった。そして、日本文学のなかでは谷崎文学が好きで『細雪』で卒論を書いたこともあった。
 私はいわゆる「草食系男子」で、しかも「引きこもり」だった。私が冴子の作品をいつも『文學界』という文藝誌で読んでいることを冴子は知らない。私は四回も小説を投稿しているが、ことごとく落選していた。私は冴子の居場所を知っていた。なぜならば、文藝部の部長を冴子が務めていたためである。
 私が書く小説は内容の無いような小説ばかりだった。そのために部員たちからは「売れない作家」という喜ばしくもないニックネームをつけられてしまった。書くことに行き詰って部を辞めようとした事もあったが、部員たちがひきとめてくれたので、今でも小説を書いている。
 或る人は夜に原稿を書くとろくな文章にならないという。それは半分あたっているが、半分間違っていると私は思う。夜には夜の物語あって良いし、夜は夜で物語を欲している読者がいるからである。
 冴子は私のことをどう想っているのであろうか。私は冴子のために短歌や詩を書いたお手製の作品集をプレゼントしたことがあった。冴子は無言のまま受け取ってくれた。言葉の限界に挑んだ作品集であったために少し前衛的すぎることは否めなかった。千本浜を歩くと詩や短歌が次から次へと浮かんでくるのである。
 冴子は私から作品集をもらったその翌年からさかんに仏文の詩の研究をするようになった。私の影響かどうかはさだかではない。
 今日もまた夜が来た。物語を書き始めなければなるまい。