『臨床哲学小説 あいだの国』

 私はあいだの国に棲んでいた。そこでは皆が煌びやかで仕方がなかった。祭りの前の踊りが催されており、私もその舞踊に参加させていただくことにした。そこにいる長老はフランス語とドイツ語と古典コイネーギリシア語を巧みに操ることができた。しかし、私は長老と話すときは英語をつかってコミュニケーションをはかった。そのほうがお互いの気ごごろがよく知られるためである。
 私は小説の修行のために『しろばんば』から土着性を『細雪』から美意識を学びとろうと考えていた。書き写すだけに終わらないように、日本の美しさを文字のなかに封じ込めておきたいのである。
 あいだの国には“なまけもの”と呼ばれる小人たちがいて、“なまけもの”はなまけてはいないが「鬱」のためになまけざるを得ない小人のことを言った。そのほかにも“ぼーふら”と呼ばれる小人は統合失調症を患っていた。
 私は“ぼーふら”の仲間にはいる。長老は、
「語学に専心するように“鬼手仏心”の気持ちで小説を書いて、書き写しなさい」
と言ってくれた。私はあいだの国で小説を書いているところを長老に見つめられてしまったので、このようなことを言ったのであろう。
 私は週に一度、あいだの国の小人たちと演劇会を開いた。実存に生で触れ、答えがはねっかえる営みであったので、治療効果もあった。題材はシェイクスピアの作品を選んだ。
 『ハムレット』をやったときには病院内のから大きな拍手をいただけることができた。あいだの国でも大きな病院がそこかしこにあったのである。
 “ぼーふら”の仲間たちと私はバンドを組んで演奏活動を行っていった。ボブ・ディランローリング・ストーンズの曲をそのまま完全にコピーして病院で演奏してみたが、意外にもかなりの反響があった。
 私は小説家としての方向性に悩んでいた。このまま文学を学ぶ行為として書き写す営みを続けていってもいいのか、あるいは思い切って書き写す行為をやめてしまう方が良いのか、時間が決めてくれるであろう。