マイネルが遺した『運動学』とはなにか

 故クルト・マイネルは『スポーツ運動学』を上梓してからもう何年もたつ。日本に紹介された金子明友訳の『マイネル スポーツ運動学』は東ドイツ出版のせいか思想がかなり「歪んでいる」ことは否めない。ここに金子明友先生のはしがきを引用することによって『マイネル スポーツ運動学』から以後金子明友先生が上梓していった真意を浮かびあがらせていきたい。

 マイネル運動学は私個人にとって偉大なる師であった。1960年のローマ・オリンピック大会で日本男子体操チームが初優勝したとき、当時のチーム・リーダーをしていた訳者をマイネルは記憶していてくれて、私の体操競技コーチング理論を構築するにあたって、多くの貴重な示唆を手紙に託してくれた。その手紙のなかで、退官後の精力的な研究内容に触れ、運動学の初版の稿を改めたいとして、その成果を1971年末にはその大半は脱稿するであろうと記してあった。当時、私が「体操競技コーチング」(1974、大修館書店)の執筆中であったため、初版の「運動学」から多くの教えを受けている旨を述べたのに対して、個別運動学の構築に一般理論の果たす役割を反問してきた。とくに、マイネル自身、初版を江湖に送り出してからはスポーツの運動美学(Bewegungsästik des Sports)の諸問題に没頭し、主観的・客観的諸前提の統合こそ現在の関心事であることを強調していた。しかし、マイネルは退官後の研究成果を未発表のまま他界してしまった。その貴重な学問的内容に触れることはもう永久にできなくなってしまったことは何と心残りであることか。
 ここに至っては、マイネルの運動理論をさらに発展させるには、マイネルのライフワークとして、たった一冊しか残っていない初版に頼るしかなくなってしまった。わずかに次のステップへの手がかりを与えてくれるのは1961年の国際研究集会のときの講演内容しかない。ここにおいて、マイネルがスポーツ実践にしっかり足を踏まえた運動学を構築した原点に立ち返ることの意義をみとめるものである。われわれはいま虚心にマイネルの原点に立って、マイネルが何を志向し、どんな運動問題に取り組もうとしていたのかを模索し、スポーツ科学の新しい運動理論の構築に努力していかなければなるまい。
 われわれのスポーツ実践の場には、まだまだスポーツ科学のメスが届かない現象がたくさん存在していることは多言を要すまい。しかし、複合した現象として現れるスポーツ運動に対して、これまでの科学的説明が何としても隔靴掻痒の感を拭いきれないことも首肯せざるをえないであろう。有用性のみが科学の使命ではないとしていわゆるakademische Angelegenheitenときめこんでしまえばスポーツ科学とスポーツ実践の断層はひどくなるばかりである。毎日生徒といっしょに汗を流している体育教師、選手とともにその競技力の向上をめざして悩むコーチたちはスポーツ実践に直接はねかえってくる運動の理論体系をどれほど渇望していることか。スポーツ科学とスポーツ実践の不幸な断層を嘆き、その原因として、いわゆる記述科学としてのスポーツモルフォルギーの欠落に気づき、新しい運動学を樹立しようとしたのがマイネルなのであった。このような事情は初版発行の20年前と何らの変わりもない。それどころかスポーツ科学とスポーツ実践の宿命的な断層を嘆く声はますます大きくなってきているといっても過言ではない。20年前に、マイネルがこの断層を埋めるために稿を起した悲願は現在もなお解決されないまま放置されていると思われる。

 筑波大学大学院スポーツ運動学教室では
①『マイネル スポーツ運動学』
②『わざの伝承』
③『身体知の形成』
④『身体知の構造』
⑤『スポーツ運動学身体知の分析論』
をテクストにしてスポーツの実践現場で通用する理論の追求を日々目指している。
わが大谷大学では仏教思想、倫理学古代ギリシア哲学のなかからえらんで自ら哲学していくことになる。金子明友先生の思想を現代思想の哲学をまなびながら解明していく作業は砂を噛む思いにかられるが、体操競技を志した以上はやってみることは必須だとおもわれる。
 次回のブログではスポーツ運動学と美学とのつながりとモルフォルギー観察について書くことにする。