『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその4』

 私はドストエフスキーの思想を宮沢賢治バンドにもりこもうとしてボイスレコーダードストエフスキーの『罪と罰』を吹き込んでいた。長く登場人物も多く私はめげそうになりながら吹き込みを続けた。そのあいだにバッハの『ゴールドベルク変奏曲』を聴いたりした。この曲はバッハがある不眠症の貴族のために書き下ろしたとつたえられている。アクネトードも「この音楽は素晴らしいな」と身を乗り出して聞き入っていた。ドストエフスキーの思想をこまかくそしてふかく理解するために映画も見た。金貸し老婆を斧で殺してしまうラスコーリニコフには共感できてしまう。なぜならば、彼の運命はお金を奪ったあと他者のために尽くすことになるためだ。しかし自己が他者をあやめることはいけないことである。映画や小説を読んで私はドストエフスキーの人類愛に接することができた。

 バンド仲間と珈琲をのんで話し合った。彼らはバッハ好きでグレングールドが好きだとか対位法が神のあたえた人間の所業だとかいっていたが私はのみこむことができなかった。私はひたすらボイスレコーダーにふきこまれた音声ファイルを聴いていた。そして思いついた歌詞を原稿用紙の裏の白紙に書き綴っていった。鬱と希死念慮との闘いを描いていたと表現するほうが適切なのかもしれない。それほど追いつめられていたのだ。私を癒したのはアリストテレス詩学とバッハだった。音読して吹き込まれたアリストテレス詩学は私の脳髄にしみわたっていった。バンド仲間のひとりのG君は「アリストテレス詩学にはギリシア悲劇のことしか書かれていないけれども、実はねギリシア喜劇のこともかいてあったんだよ。それがこの小説。ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』という小説さ。ウンベルト・エーコボローニャ大学の教授をやっていて記号学の先生なんだ。ボローニャ大学は全部学生が主体になって働き、学長も学生で教授も学生が決める恐ろしい大学なんだ」私はG君から受け取った小説を読むことにした。これもまたボイスレコーダーに吹き込むことにした。単行本で上・下と分厚いがなんとか読みきりたい。

 Mはハイデガーの哲学を学ぶためにベルリン自由大学で博士号を習得したあと中世哲学や神学を教えるためにマールブルク大学へと移った。ドイツにいってもMはTwitterをやっておりこまごまとした知識をTwitterに書きこんでいた。私は統合失調症を抱えているのでTwitterでは当事者かあるいは哲学研究者をフォローして親交を深めていた。日本とドイツの「民間伝承文学」についてMは関心があるらしくそのことをブログでも書いていた。SNSの発達は近年すさまじい発展をみせているが、躰と躰のコミュニケーションをもっと大切にしたいと思い、私はバンド仲間との飲み会やお茶会に頻繁にでることにした。

G君は20歳で帝都教育大学で教育学を修めたのち帝都大学の法学部でバンドを組むことになった。ギターならなんでも弾くことができ、まさに「弘法筆を選ばず」だった。私が所有しているミニギターで『禁じられた遊び』を弾いていたときには私はたまげてしまった。ロシア語と古典ギリシア語がかなり達者なのでアクネトードと話し合いができるのではないかと案じたが、アクネトードは私にしか見えないので私はG君からロシア語と古典ギリシア語をバンドの練習が終わった後に習うことにした。ロシア語は発音が難しくなかなかキリル文字に慣れることができなかったし古典ギリシア語は格変化が激しいので覚えることが困難を極めた。それでもG君は親身になって教えてくれたのでアクネトードとの会話もスムーズに行えるようになっていった。
(つづく)