哲学のなかの倫理学とは何かを問う(What is X)

哲学のなかに倫理学という学問がある。生きるためにはどう「すべき」かあるいはどう「すべし」かを問う学問である。臓器売買は倫理学のなかで正しいのかどうか、人工中絶はほんとうにただしいのかどうかをむかしの哲学者の文献をあたりながら「考える葦」であるわたしたちが考えていく。今、つまづいている問題は「倫理学とは何か」という問いである。人間関係のなかで相手が本当に理解しているのか、私自身は他者と共に生きることでそんざいしているpersonであるが、そのことを難しいことばを使わずに証明することができるのかどうかその「倫理学とは何か」という問いを中学生や高校生におしつけることは正しいことなのか、100年間の22歳をいきている現時点では<ぼやけて>しまっている。
 
そのためにいろいろな本を読むことにしている。ギリシアヘブライの倫理思想に書かれた書物や聖書のなかのキリスト教倫理について書かれているものをよんでいるが、
現在、抱きしめられるような知的快楽を得られている書物は『聖書』の次にアインシュタインの伝記である。しかし、理論物理学にはまったく興味がない。アインシュタインの境涯を追思考することによって人間関係の問題に寄り添っている。

 ここで或る師からのメールを問答形式によって書くことにする。
弟子
オープンキャンパスなどで模擬授業がおこなわれます。
その映像をみました。
難しい<噛み砕きにくい>用語がつぎからつぎへとあらわれてきます。
それを高校生に説明することのむずかしさは自分に帰ってきます。
広辞苑や哲学事典をひもといてもわからないことがもっとわからなくなります。
<噛み砕いて>説明することは哲学の伝承にかかわってくるように思われてなりません。
カントやヘーゲルフッサールの言葉を咀嚼して高校生に思索の道程として示す
ことは今後の哲学会においてもじゅうようなことだと思われます。

ぼくの目標は社会科(世界史・倫理)の教員になることです。
そのためには膨大なバック・ボーンが必要です。

異端とされた池田晶子女史の文章も最近になって日の目をみるようになりました。
池田晶子女史の哲学は中学の授業でも取り扱われているようです。

生命倫理のなかのターミナル・ケアの問題を本学で学んでいきたいとおもいます。
返信よろしくお願い申し上げます。

その返事は的を射たものであった。
 師
 おっしゃるとおりだと思います。頑張ってください。私個人も、また仲間の哲学研究者たちも、哲学の専門学会も、いずれも中高等学校生にわかりやすく哲学倫理を教えることを重視しています。そして、どのように教えるかについても、著書や研究会や学会専門部会や、文部科学省への意見提出などで、毎年具体的に活動しているのです。日本哲学会や日本倫理学会の活動を御覧になって下さい。私と仲間についても、近々そうした趣旨の本「もうあなたも哲学したら?」が刊行されます。ご覧いただければ幸甚です。取り急ぎ。

 哲学の伝承は膨大なバック・ボーンが必要なことが文脈から推察できる。