『まわる神話の道』

秀村は魔法の扉をあけかかっていたが、なかなか開けることができなかった。秀村は小説家で自宅のパソコンを使って小説を書いていた。自宅にはちいさいゴブリンがおり、ゴブリンが原稿のゲラをチェックしていた。魔法の扉は秀村のこころの深くにあった。ゴブリンには妖精がついてまわっていた。秀村のこころの深くにはさまざまな小説のアイディアがたくさんつまっていた。大作として秀村は『まわる神話』としてまとめることにした。秀村はロシア文学が好きでとくにトルストイの『戦争と平和』をこよなく愛していた。『まわる神話』は<意識の流れ>の文学としての『戦争と平和』をリメイクした壮大なドラマ。秀村は白髪交じりの頭をかきむしりながら、『まわる神話』を書きはじめた。

ゴブリンは耳がとんがり、背丈は人間の二分の一。タフでねむることはほとんどない。人間の言葉を理解し魔法語をつぶやくことができた。ゴブリンにはかならず天空を自由自在に飛ぶことができる妖精がひとりついていた。妖精は人間の言葉を読み書きすることができたが、言葉をつぶやくことができないのでゴブリンに助けてもらって秀村と秀村の奥さんと話すことがようやくできたのだった。秀村の『まわる神話』にも『戦争と平和』には登場しないゴブリンや妖精、魔女や魔法使いたちがぞろぞろとあらわれてきた。
 
創作活動はひとり誰も助けてくれない孤独の暗闇。そのなかでもこつこつと秀村はパソコンにむかって文章を書きつづけた。『まわる神話』はちいさな村のなかのできごと。大きな戦いをとおして、悪とはなにか善とはなにか、を問う作品にだんだんとちかづいていった。『戦争と平和』は貴族の話だったのでどう魔法の国にだまくらかすか推敲に推敲を重ねていった。ゴブリンは「難しすぎるからやめたほうが善いですよご主人様」と言い。妖精は「がんばって書きすすめれば御主人様の精神衛生におおきな利益をもたらします」といった。秀村はうつ状態からなかなかぬけだせずにいた。
 秀村の奥さんは魔法使いなので箒で天空を飛ぶことができた。夫が執筆最中の時でも気分転換に箒で東京の街を飛び回っていたのだった。奥さんは煙草が健康に悪いことを知っていたので夫のたばこ飲みを「健康にわるいわよ」と何度も注意したがなかなかやめることができなかった。なんと一日15本も吸う。
 
ある日、たばこを吸っていた秀村につかつかと歩みよりたばこの箱を眼の前で握り潰してしまった。夫の秀村は憤慨したが、それ以来たばこを吸うことはなくなった。
 秀村は外務省の公認会計士をしていた。夜になると長編や短編小説を書きはじめる。そのためにどうりょうからは「定時作家」とあだ名をつけられてしまった。沼津と東京を行き来しており、沼津は主に書庫と病気の療養のために使って、東京では外務省の仕事と小説を書くために使っていた。小説は書いても書いても噴水のようにあふれてきた。ゴブリンとしりあったのは或る女流作家との交流があったためだ。その女流作家は婦人雑誌になんども対談をするほどの女傑で仕事もバリバリこなしているキャリアウーマン。秀村は沼津の療養所でその女流作家と対話することになった。
「最近はどのような作品を書いていますか」
ファンタジー小説ですね。というよりもファンタジーしか書くことができないんです」
「私は主にミステリーを書いています。それから映画やドラマの脚本をすこし。でも、みすてリーが仕事の量でいうとミステリーがおもです」
「その奇妙な動物は何ですか」
「ああ、これはその・・・・・・ゴブリンです。飼い主に忠実につかえるのですよ。よろしければこの<かたなしゴブリン>をうけとってくれませんか」
「その<かたなし>とはどういう意味ですか」
「親が魔法戦争でなくなってしまったんですよ」
「わかりました。あずかりましょう」
このようないきさつでゴブリンは東京の秀村の自宅にやってきた。なれない手つきで家事などをおこなって3年たつと秀村の書いた短編小説の原稿のゲラをチェックするようになっていった。ゴブリンを見てファンタジーの世界観があらわれたので大作を書くことにした。その後、秀村は女流作家と交流をもつようになり太宰治村上春樹などの日本文学の代講の非常勤講師のために東京の水道橋の喫茶店で勉強会を開くようになった。

 小説を書くことは自分との戦い。善悪の彼岸のなかで肉を原稿にたたきつけるように生み出していく。奥さんは大学で哲学をまなんでいたので深い話が大好きだった。あまりにもメルへンチックでアルバイトの経験すらない怠惰な秀村と結婚したのは素晴らしい作品を書くことができたため・・・・・・。しかし、ときに「才能で結婚したのか」と喧嘩になることもあった。魔法使いであることを告白したのは結婚後3年たってから、つまりゴブリンが家事をようやく覚えだしてからのことだった。当初、秀村はかなりとまどっていたが、メルヘンの作品を生み出す度量があったので、すぐに受け入れることができた。
<つづく>