フルトヴェングラーと<私>

フルトヴェングラーと<私>は父と子のような関係性がある。そのおだやかなでありつつ激しい音楽はなることをやまない。とくにベートーベンの交響曲第3番「英雄」はさながらロック・ミュージックを想起させる。フルトヴェングラーは故人だが、その音楽は現在でも生きつづけている。
 ベートーベンの交響曲第6番「田園」では<私>の生まれ故郷の「沼津」を想いうかべずにはいられない。淡々とした曲調のなかに力強い生命力が宿っている。<うら>に厚く、<そと>に淡々とした<沼津人>の気持ちをこれぞ、とばかりに表現している。土の臭いと海の臭いを感じさせる曲である。
 フルトヴェングラーにはみけんに彫ったようなしわがある。音楽と向き合い、自己と向き合った結果そのようなしわができあがったのだろう。
 しかし、うそつきな一面もあり1月30日にベルリンフィルに2月4、5日の演奏会をキャンセルしたとき、「凍結した路面で転んだ」という<ほらをふいた>。
 ベートーベンとの相性がよかったのかほぼすべての交響曲のナンバーを振っている。ベートーベンは交響曲第6番について「絵画ではなく、心情を表現したもの」と述べている。