『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその8』

 私は落語とギターと太宰治に傾倒するようになった。市立図書館で三遊亭円朝全集をひもといてみたり、三遊亭圓生古今亭志ん朝の落語をCDで聴いたりした。檀一雄は『人間・太宰治』のなかで太宰文学は落語に影響を受けていることを後世の批評家はこころにとめておくべきであるとくぎをさしている。ギターは左手の指が痛くなるほど弾きこんだ。「宮澤バンド」の様子はG君が事細かに新聞にして書いた。私もそのお手伝いをした。

 そして「太宰落語会」というのが「宮澤バンド」から派生した。G君の発案だった。G君も落語好きでよく私のところに遊びにきては三遊亭圓生古今亭志ん朝のCDを聴いて一緒にげらげら笑っていたりした。G君は「太宰治が作家のなかで一番好きでね。ウンベルト・エーコよりも好きなんだ…そうそう宮澤バンドからね太宰落語会を発足していきたいと思っているんだよ」といったのでやろうということになった。「太宰落語会」は太宰治作品を落語でおこなうというもので、『人間失格』、『斜陽』などを落語で演じることになった。太宰治文学は落語の影響をうけておりやさしい言葉遣いで書かれてあるので落語化することは容易かった。どの噺にもオチがあり筋書きとして成り立っていた。そのために、太宰作品をそのまま落語として演じることができた。「太宰落語会」は盛況だった。暗いことで一般的に知られている太宰治だが、ユーモアはそこかしこにちりばめられている。特に勉強したのは三遊亭圓生の落語だった。私は音源から伝わってくる雰囲気を大切にした。

 ワタナベマリコは『斜陽』を見事に演じた。演じるというよりも語ったという言い方が正しいだろう。ワタナベマリコ山形県出身で東北訛りがあったが、みごとに東北訛りの啖呵をきった。落語がおわったあとは音楽会となりワタナベマリコエレキギターを弾き、私はドラムを叩いた。