雑感エッセー

陸上競技コーチング』と『身体知の形成』という本を読みこんでいる。私には陸上競技体操競技のコーチになりたいという夢がある。そのために本を熟読しているが,まったくもって机上の空論になっている。このままでは実践に生きる「スポーツ運動学」が活きるはずもない。聖書の「使徒伝道録」には私の夢を綴りながらよみすすめている。金子明友先生の思想を具現化し,<できる―できない>のはざまに苦しんでいる運動修練者すなわち選手や生徒たちの救済者となるべくたちあがらなくてはならないと夢を膨らませている。
 私の選手生活をふりかえってみると,それは途方もない愚直なる道であった。「足が遅いから陸上競技部に入る」という道を選び,三人の親友に恵まれ,陸上競技のあらましを肌で実感することができた。まず,砲丸投げ走り幅跳び,100m走の種目にいきなり出場することになった。その結果は蝶々するまでもなく,最下位であった。そのために私は中・長距離走を専門種目に選ぶことになったのである。三人の親友はサラブレッドであったがわたしは駄馬であった。走り幅跳びを専門にする親友はあれよあれよというまに東海大会に出場した。110mHを専門とする親友は県大会に出場することになった。
 私はといえば走り幅跳びを専門とるする親友の薦めで練習会に参加するようになった。そこでの練習は想像を絶するほど厳しいものであった。1kmのタイム結果によって私は女子チームと一緒に走ることになった。ファートレイクという練習法で丘を縦横無尽に駆けていく練習だったがついていくのがやっとだった。
 このような脂汗したたる練習会は週一回のペースで催された。その成果かあったのか,タイムはどんどんよくなっていき,親友からは驚嘆の声があがった。
 高校生になると部活と勉強の両立が破綻し、身体も壊してしまい競技生活にピリオドを打つことになってしまった。なんと無念なことだろうか。そのあいだにであったのが間接的であるが体操であり,スポーツ運動学の著作群であった。とくに金子明友先生の『体操競技ウルトラCへの挑戦』,『わざの伝承』は慧眼された。『体操競技コーチング』は京都の大学に通っているときにであった。その感動は忘れることはできない。