『臨床哲学小説 アクネトードと私たち12』

 私はG君の詩にメロディーをつけた。「宮澤バンド」で歌うためだ。コード進行表をつくるだけだった。私は楽譜を読むことができない。ギターをさわりながら、かりかりと2B の鉛筆で神に祈るように書いていった。そしてアンプとエフェクターの調子をたしかめて歌ってみた。濁流が清流にかわるようにメロディーがながれていった。それはエラン・ヴィタールのようであった。疾風怒濤。聖書の創世記をおもわせるような歌が出来上がった。私はワタナベマリコとG君に「よい歌ができたよ」とlineで連絡をした。まるで新世紀旗手のようなおももちだった。そのあと私は小説の執筆にとりかかった。ラップトップとノートとA4のコピー用紙を縦横無尽に駆使して執筆していった。また詩ができてしまった。



「深夜の歌」

深夜、言葉を紡ぐ藝術にむかって
べらんめいの落語をききながら
四行書いたら詩ができた
荒唐無稽な詩だ
こんなぼくでもゆずれないものはある
二日酔いの気だるさのなかで
ワインをぐいぐい飲みながら
落語の藝に舌鼓
永遠につづく
死んではいけない
Twitterで自由律の三行詩を書く
無意識と深層意識のはざまで
キーボードガシャガシャ
これはいったい藝なのか
彼女のちらリズムからエロティシズムをかもし出す