ゲーテの形態学とはなにか


 スポーツ運動学においてモルフォロギー的考察法は重要な位置を占めている。ここでは金子明友,高橋義人,三木成夫の知見を借りてその方法論を浮彫りにすることを主題とする。まずは金子の『わざの伝承』第3章2ゲーテの形態学のゲーテの自然科学からモルフォロギーがいかにして成立したか,そしてどのように自然科学界で発展していったかみてみよう。

 ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテという名は『若きヴェルテルの悩み』や『ファウスト』などの作者として,世界の人びとから親しまれている。この文豪の輝きがすばらしければ,その影はそれだけ濃くなるのであろうか。文学の対極にあるような自然科学に対して,ゲーテがその情熱を傾けて強い関心を示したとしても,ゲーテ文学の燦然たる業績に比べると,世の人びとは偉大な作家の片手間の趣味と考えてしまうようである。
 しかし,ゲーテは若いころから,つまりライプツィヒ大学ストラスブール大学法律学を専攻するかたわら、医学や地質学などの自然科学になみなみならぬ関心を寄せていた。巷間にセンセーションを巻き起こすような,すばらしい小説や戯曲を次つぎに発表して,文壇の寵児になっていたゲーテは,一方では動物や植物の研究のみならず,地質学や気象学,さらに色彩論へと幅広い自然科学的研究に執念を燃やし続けていたことは意外に知られていない。・・・・・・このモルフォルギーという表現そのものはゲーテが1796年11月12日付のシラーに宛てた手紙やそのころの日記にも用いられていたけれども,ギリシア語のモルプェー(姿かたち)を基にし<Morphologie>というドイツ語は,1817年に刊行された生物学専門誌の表題に取り上げられて,初めて世人の耳目を引くことになる。ゲーテの自然科学研究はその形態学と色彩論に代表されるといって過言ではない。スウェーデン博物学者リンネやイギリスの物理学者ニュートンの理論と長く激しい角逐の末に,ゲーテの独創的な自然科学のパラダイムが構築されたことは周知のことだろう。しかし,それはゲーテ自身の精力的な研究にもかかわらず,非科学的,ロマン主義的自然哲学であるとの批判を受けてずいぶんと久しい・・・・・・

ゲーテ全集第14巻のなかで『形態学序説』のなかで「計画の動機」・「研究の意図」・「内容の紹介」が繰り広げられている。そのなかでも「研究の意図」で形態学(モルフォロギー)という鍵概念がはじめて登場する。

 自然界のいろいろな対象のなかでも特に生物に眼をむけて,そのあり方と活動の関係をつきとめようとする場合,そうした知識を得るためには,対象を個々の部分に分析してみることこそ,もっともふさわしい方法だとわれわれは考えている。実際,分析の道を歩むことは,われわれの知識をひろげるうえで大いに役立ってもいる。自然を洞察し展望するうえで,化学や解剖学がわれわれに大きな関心をもたれる方々にはあらためて言葉を費やして想起していただくまでもない。
 しかし、このような分析的な研究をたえずつづけていると,多くの欠点も生じてくる。生命ある存在を分解してゆけば,たしかに所要素に到達はできる。だが、この所要素を集めてみたところで、もとの生命ある存在を再構成したり,生の息吹きを与えることはできないのである。このことは有機体はもちろん、多くの無機物についてもあてはまる。
 だからこそ学者たちもまた,いつの時代にあっても抑えがたい衝動を感じてきたのである。それは,生命ある形成物そのものがあるがままに認識し,眼にみえ手で触られるその外なる部分部分を不可分のまとまりとして把握し、この外なる諸部分を内なるものの暗示として受け止め,こうしてその全体を幾分なりと直観(アンシャウウング)
においてわがものとしよう,という衝動である。このような学問的欲求が芸術的衝動と非常に密接な関係にあることは,事細かに述べるまでもない。
 したがって、これまでにも芸術や学問や知の歴史において,ひとつの学説をうちたて,完成させようとする試みがいくたびとなく繰り返されてきたといえるのだが,われわれとしてはこのような学説を形態学(モルフォロギー)と名づけたいと思う。(以下省略)
 
 金子はマイネルの『運動学』の形態学的運動学を発展させて発生論的運動学を『わざの伝承』のなかで展開させている。ゲーテのモルフォロギーはそこにおいての鍵概念である。ゲーテの自然科学近年まで文人の片手間のお遊びとしかいわれなかったが,高橋義人の研究により私のTwitter仲間でバスケットボールのフェイントについて運動学的に考察を深めている人がいる。交流を深めて知見を広げていきたい。




加藤澤男先生が出ている動画です。



ニコライアンドリアノフがでている動画です。。


鉄棒少女の動画です。
逆上がり→倒立→あふり→大車輪
という運動形態から成長していく過程が
よくわかります。