『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその11』

 それから数日後、G君から返事が来た。詩の応酬だった。私はその詩を読んでげらげらと笑った。これはこれはたいした正義をろうしている。言葉のボクシングだ。だから私は小説を書くのだ。誰にも頼らない文学を。唄を歌うように朗々と。希死念慮っていう奴は逃げれば逃げるほど追いかけてくるものだ。ならばことばで戦ってやるのみだ。落語・太宰・詩三つが三位一体となって詩の時空間を形成していく。メタモルフォーゼしていくのだ。詩を書くことは自己の閉じた世界だが、他者の解釈が介入することでコミュニケーションが成立する。ああっそれは懊悩のなかの甘美。やめられない。お酒のデーモンに似ているかもしれぬ。言葉の藝術がどんどんその蜜を濃くしてひとつの硬い飴になっていく過程のように。この3つの詩は「宮澤バンド」の曲となった。

「酒聖にささげる歌」

きみは琥珀をみたことがあるだろうか
何億年ものしこりをためてやってきた
さもしさがぎっしりとつまっているじゃないか
天国には君といきたい
カルモチンは置いていって
太陽の裏側にいきたい
琥珀の輝きがウィスキーの輝きに乱反射して
もやもやとした心持が消し飛んでいった

べらんめい!で語り合おう
そのほうがてっとりばやい
ビールとくとく注いで
めくるめく酔いの万華鏡

あなたを怠けさせてもギターを呆けさせるな
酒のつまみは乾いたジャイアントコーン

死んだほうがいいのかな
パイナップルを食べる
退廃芸術なインターネット
睡眠導入剤無頼派、新戯作派を気取る
怠け者が織りなす古い日常
文豪にかぎりなく近い存在
顔は内側から湧き出るもの

音楽はリズムとシンフォニー
ギターのコードFがどうしても押さえることができない
希死念慮を散らすために最適に理性を使います
四畳半の神話はダダイズムマジックリアリズム
自由連想法。ビールのおつまみは柿の種でしょ
ウルトラCをやってみて失敗
けれどもめげない丈夫な肉体
猫の額ほどの領分
ギターをかき鳴らすと怒涛の清流が流れる
むこうから阿呆の神がやってきた