『臨床哲学小説 アクネトードと私たちその9』

「怠け者の青春」
怠け者の青春だ。
私の書く小説はこれに限る。
すべてのものたちが炬燵のかたつむりになり、何事もしない。
音楽や哲学を生業にして自分の世界にひきこもっている。
他者の世界の介入がない。
私はいつも朝がくると絶望する。
布団からでてぐるぐると自宅を歩き回り原稿にとりかかる。
酒にも煙草にもたよることができない。
Mはそのことを心配していた。
アルバイトもしないで文学の虚構に身をささげていることに・・・。
田舎者の戯言や戯作を書いて時間をつぶしている。
ときたまギターを弾いている。
私は恥ずべき人生をおくっている。
もうしわけない心持だ。
ある対象に自己を没入して小説の生血としている。
四畳半の神話が襲ってくる。

 私は「怠け者の青春」という唄を歌った。G君はこの曲を聴いてひらめきがおこり次のような詩をいつも手にしているモレスキンのノートに書きつけた。

「聖なる怠け者よすすめ」

あなたはどうして怠け者なのか
やるべきこととなすべきことを取り違えてないだろうか
道化を演じてはいないだろうか
問いのなかにすでに答えはふくまれている
天からラッパが吹いている
それを聞き漏らさないで
それはわざにしかならない
習うより慣れよ

しわがれた声で歌え
社会の眼差しに気をつかいすぎるな
俗語で唄え
周回遅れがそのうちトップランナー
莫迦になりすぎるな
これほどまでに怠け者で動かない者がかつていただろうか
神も見放す動きなさ
フルスロットルでギターをかき鳴らせ

熱い歌を歌うな
さめて燃える唄を歌うのだ
永遠に永訣の朝のために…

 ワタナベマリコはこの二つの詩を見て「宮沢賢治太宰治をカクテルにしたような詩ね」と言った。「聖なる怠け者よすすめ」はワタナベマリコが曲をつけて「宮澤バンド」で歌うことがきまった。メランコリーの典型のような詩がまた新しく「宮澤バンド」のもち歌の仲間入りをはたした。