『臨床哲学エッセー 私の小説とエッセーの書き方』

 私が小説を書くときは一種のスキャンダルであって何を書こうか直前までわからないことが多い。私の文学の根本をなしているのは詩である。私は高校時代に小説を投稿しようとしたが、まったく駄目だった。そのバネでいつでも駄文を書いているのだろう。お手本となる文章を書き写している。
 私は「書きたい内容」が三つある。それは第一に夫婦の愛。私は高校時代に父親を亡くしている。私の理想の愛と現実引き裂かれた男を描いて行きたい。
 第二には思春期をむかえた中学生の物語だ。その内容を細かく見ていくと陸上部をやめるか、やめないか悩んでいる人たちに光明をあてていきたいと思う。
 第三にには体操競技の家族の物語である。私の叔父には体操競技ができるという美点があった。私は叔父に取材をして体操競技からうまれるドラマを脚本におこしていきたい。
 そのためにも大局感をやしなっていくためにトルストイの『戦争と平和』の精読は続けていきたい。三つのドラマは小説として書き、その後台本におこしていくことにする。また、<意識の流れ>の文学でもあるトルストイの『アンナ・カレーニナ』も音読、精読していきたい。