『臨床哲学エッセー 幼年時代』

 私がこどもだったころ。世界はあたたかみに充ち溢れていた。私の「内なる世界」は本を欲していた。母と祖母は口やかましい存在だったが、なんともいえないあたたかさがあった。物書きになろうと思ったのはちょうどこのころだった。「物書き」正確には「物描き」とでもいえることであろう。
 この幼年時代には沢山の病気をした。アトピーや風邪。とにかく身体が弱かったのである。母に連れられて沼津の小さな病院へ行った。つられてわけもわからずに病院の雑誌を読んだ。その事により私はマンガが好きになったのだろう。
 私の家は親戚が多く、にぎやかだった。現在は閑静な状態を維持している。私はこの家ではなくこの閑静な状態が嫌でたまらなかった。なぜなら、物が多すぎるために音がうるさいのだ。音といっても本当の音ではない。物から響いてくる「かたちなきもののかたち」が私を困らせてしまった。
 父親は私と妹に対して凄くやさしかったと同様に凄く厳しい人だった。箸と箸が合わさっただけで怒り出し、手がつけられなかった。私は呆れてしまった。
 私の叔父は幼年の私にとって不可思議な人物だった。ときどき玄関を開いてやって来た。
現在にいたるまで得体の知れない人物だと思った。
 私は良く千本浜につれられた。千本近くある松の木からはかすかに潮の香りがした。私の「内なる世界」を豊かにしていった。ある日、叔父と釣りに行くことになった。ブルーギルやブラック・バスなどが釣れたと思われる。その時は私だけでなく甥と姪もいた。その体験はかけがえのないものとなった。
 私が小学生5年生になったばかりのことを私は鮮明に記憶している。ある日、いじめっこが私をからかいに来たのである。私は激怒し大型国語辞典が入っている横断鞄をおもいきり頭をめがけて振り落とした。その後、そのいじめっこは二度とそのような愚行はおこさなかった。
 幼年時代、はまったのは「マンガを描くこと」だった。友だちとまじってスケッチ・ブックにGペンでペン入れをひたすらおこなった。幼年時代と言っても小学5〜6年生の頃。まだ分別もついているのかどうか怪しい少年に何ができるのか、を試したかったのだ。