『臨床哲学エセー マンガと映画』

 私はマンガを読むことが好きだ。なぜならば、右脳にここちよい働きがもたらされるためだ。私が読むマンガは主に剣客マンガだが、その剣客マンガ達はかけがえのないinspirationをあたえてくれる。
 映画もマンガと同様に好きだ。私は将来の目標として映画監督になりたいと考えている。そのための行為として、現在、ポスターカラーで絵を描いている。絵が上手であればあるほどスタッフに何を伝えたいかがはっきりとする。そして、台本を書くための練習としてトルストイの『戦争と平和』を音読している。
 黒澤明監督もトルストイドストエフスキーを耽読し、映画の台本を書いていった。眼に焼きつくような映像美は黒澤明監督の色彩豊かな絵コンテにあらわれている。
 マンガを描くために私はイトーヨーカドーの画材屋でサジペンやスケッチブックを買った。私はなにかすがりつくものが欲しかったのだ。私はひとりぼっちだった。沼津にもどってからは友だちがだれひとりとしてできなかった。それはさそうとしなかった私自身に責任がある。その反動からか、文筆や絵画の世界へといざなわれたのだろう。
 夜になると私は文章を書くことにしている。また、絵もパレット片手に掌をよごしながら無骨な絵をスケッチブックに色をのせるようにして丁寧に描いて行く。私は大谷大学の先生の薦めで『自閉症になったわたしへ』という本を少しずつ、そしてゆっくりと読み進めている。この本の作者は自閉症を抱えている。しかし、文体は細やかで、感性が光っていた。私も自閉的な絵を描くことが多く、明るい絵を描くことができない。集中力もまばらでうっかりすると自画像になってしまう。「自分の世界」がいわゆる「世間」とどう折り合いをつけていったらよいのかと私は考えこんでしまう。
 そこで私は3つに集中することにした。第一に文筆活動を行うこと。このことは「自分の世界」を「世間」に白日のもとにさらすには良いことだと考えたためだ。周囲になかなか理解されない「自分の世界」はどう折り合いをつけて生きていったら良いのか?という問いを文章化することによって表現していくのだ。
 第ニには絵を描くことが挙げられる。絵を描くことによって一貫しない思考が色彩を通して明らかになる。例えば黒が全体を覆っていれば「今日はこころが暗い」とわかるように。
 第三には、映画を観たり、本を読むことが挙げられる。なるべく一本の映画を何度も繰り返し観たり、本はなるべく音読して読むことにする。
 「うつ病」や「統合失調症」を抱えた私が「世間」と「自分の世界」とどう折り合いをつけていったらいいか私なりに考えてみた。そのうち映画をしっかりと観て、感想文を書いて行きたいと思う。