『臨床哲学エッセー 世界と私の世界とのあいだ』

 私は外の世界と「内なる世界」とのあいだにギャップよりも強い何か、を感じながら高校時代を過ごしてきた。夕陽に向かってたそがれて「生きる」とは何だろう。「死ぬ」とはいったい何なんだ、と考えざるをえられなかった。
 私の「内なる世界」は外に表現してしまうとグロテスクそのもので私は表現するのにためらいを感じていた。こうしたことに正しい道筋で答えにたどりつくように導いてくれるのが哲学らしい。
 私は哲学に夢中になった。京都にも行った。哲学の世界はそう生易しい世界ではないことを沼津から京都にいってから身が凍るほど思い知らされた。
 京都での哲学の始めての授業の時、「何故、哲学科を選んだのかその理由」を書くように命じられた。私は迷うことなく「作家になるため」と書いた。この学校の卒業生にも作家になった人がいたのでそう書いたのだ。
 私は環境に左右されやすい性質らしい。語学は私にとって恐怖の何ものでもなかった。高校時代を思い返すと身体がいうことを効かずに、ろくに英語の授業に出席することができなかった。その経験が尾を曳いて語学コンプレックスになってしまったのだ。
 そういう時に私の「内なる世界」はあらわれてきた。受験勉強とは何の関係もない江川卓著の『謎解き『カラマーゾフの兄弟』』を書き写したり、ドストエフスキーの著作をむさぼり読んだりして「内なる世界」に「引きこもろう」とした。のめりこんでしまうと一途になってしまうのだった。
 中学・高校とあがっていくにしたがって勉強をやらなければならなかった。私にとって好きな教科が別れていることは不条理な場所になっていった。
 私にとって「内なる世界」は本の中の世界と密接につながっていた。現在も私はうつ病統合失調症を抱えており、「死」の恐怖と闘う日々を過ごしている。特に夜眠ることができないと、「世界」と「内なる世界」とのあいだはどんどんひろがっていく。
 作家や脚本家や映画監督になりたいという目標は死んでも譲ることはできない。私は文章を書くことで私の「内なる世界」と「世界」あるいは「世間」とどうにか折り合いをつけてきた。これからも私の「内なる世界」と「世界」との折り合いとの戦いは始まったばかりのような気がしてならない。