『小説家をめぐる冒険』「私小説のゆらぎ」

私は書くことが好きだ。むかしから本を読むことが好きだったのである。Kは大学を卒業して編集者になった。私は沼津市に生まれた。田舎の町だが、マグロがおいしい。私とKはおさななじみだった。私は大学を休学していて「生きづらさ」を感じている。何をどうやったらよいのかわからないのである。そのためにクラシック音楽を聴いたり、ジャズを聴いたりしながら、小説を書いている。「うるおい」を求めているかもしれない。欲望のうずまくなかで私は小説やエッセイを書いている。

「生きづらさ」は第一に母と祖母に迷惑をかけていること。第ニに復学できるか「ゆらいでいる」のである。第三に「書くこと」の重みが大変であるということである。私は統合失調症という精神疾患をかかえて生きている。そのことで困っていることはAということを考えているとき、Bという妄想を浮かんでしまうことである。

Kはそのことについてやさしく守ってくれた。いや、見守ってくれた、と言うほうが正しいかもしれない。Kは京都大学の文学部哲学科を卒業し、ラジオ番組の仕事をしながら、編集者の仕事をしていた。

私はどんな小説でも「ゆらぎ」があると考えている。文体のなかで「ゆらぎ」がなければ、読者は感情移入することはできないであろう。それは音楽の合唱にもあらわれている。声楽が上手な人にひっぱれて自分の声が上手くなることは声楽や合唱をやっている人ならば知っていると思われる。それと同じように小説でも気持ちを感化させる小説があるはずである。Kはそのことを理解してくれた人物のひとりである。無駄なものをとばしていって小説は書きつくされる。Kは文学のことをよくわかっていた編集者のひとり、『夢日記』を書いている。Kの内面を知るには『夢日記』を読めばいい。Kは幼年期のころからわんぱくで体操競技にのめりこんでいた。京都大学でも体操部に所属し、そこそこの成績をおさめていた。

Kは一度だけ恋をしたことがある。それは3月のことだった。小説を書いていた彼女と付き合っていたのである。Kは大学時代を京都ですごし、仕事のために東京の神保町に住まいをうつした。彼女の名前を井上さんといった。物書きの素養をみがくためにドイツ語と古典ギリシャ語を身につけていた。Kはクリスマス・プレゼントにガルシア・マルケスの『百年の孤独』をおくった。

彼女はマジック・リアリズムに興味をもっていた。マジック・リアリズムは機関銃のように言葉を書いて行く濃密な手法のことである。彼女の作風は人間の奥底にあるものを書きあげる、どす黒いもので読者の好き・嫌いがはっきりとわかれる作品が多かった。表現の自由の名のもとにやってきたジャンヌ・ダルク、と言ってもさしつかえはなかった。
Kとの間柄はドライだった。小説の感想をツイッターで交信したり、ゲラの読み合いをしたりした。私はKと彼女との対話の席でいっしょになったことがあったが、ひとことも口をきかないこともあった。私が主に会話の主人公となり「小説とは何か」とか「ツイッター小説」は可能か、などの議論をしたりした。その議論は深夜にのぼることもあった。

小説を書くことは難しいことだ。読者のことを考えながら書かなくてはならない。活字に飢えている新しい読者たちのことを考えてみるとネットやSNSのひろがりもまた考察していかなければならない。そうすると私は口ごもらずにはいられない。

エッセイと「私小説」のゆらぎのなかで今日もまた私は苦しまぎれとしての「私小説」を書くことになってしまった。文壇デビューはあと3年かかると思う。