『手記 自然学を追い求めて』その2

量子テレポーテーションがおばあちゃんの研究分野だった。おばあちゃんは斉藤和義とアンジェラアキそしてMayJ.を愛していた。研究の途中でよくiPodから聴いていた。

 私はつまらない小説を書くことを得意としていた。誰に読まれることを想定していない手紙のようなものの小説だった。私はK先生にお世話になった。リチャード・ファインマンのお友達なので量子力学が得意でよくわからないことを教えてもらったりしていた。ファインマンは考えるだけでラジオをなおしてしまったり、物凄い速さで計算をすることができる。

 量子テレポーテーションがおばあちゃんの研究分野であるが、量子コンピュータの開発リーダ―でもあった。量子コンピュータは簡単に言えば、レーザー光線がいままでのコンピュータの電磁波だと思っていただけるといい。
「わたしは量子コンピュータを使って量子テレポーテーションが可能になることを望んでいるんじゃ」とぽつりとかたっていたことがある。

 私の理解力では到底理解することができなかった。

『手記 自然学を追い求めて』その1

 私はアリストテレスの『自然学』を原稿用紙の裏に書き写すことにした。アリストテレスとは縁があり時間の探求からはじまっていた。私は統合失調症を抱えていて生きている。鬱状態になることもある。そんなときは正孝先生に電話をして科学的な対話をすることが好きだった。この手記は鬱状態になったときのはけぐちになるかもしれない。大学時代の恩師はアリストテレスの『二コマコス倫理学』を翻訳したことでしられている。現在の私の状態は理論物理学に現実逃避している。アルバイトもせずに無為な日々を送っている。ギリシア時代の科学とアインシュタイン相対性理論量子力学に没頭している体たらくだ。こんなことでよいものかと焦燥感ばかりかつのって思考に乱れが生じている。

 おばあちゃんは認知症になってしまい特別老人施設で御厄介になっている。「あんただれ」と言われたときのショックは筆舌に尽くしがたいものがあった。プリンストンの研究所にいくことになった。認知症のおばあちゃんは素粒子物理学量子力学の天才だった。アメリカへと渡米した。

『臨床哲学エッセイ 今日は眠剤をODしなくなってきた』

 今日はメンクリにいってきました。時間がまたされました。『存在と時間マルティン・ハイデガー高田珠樹訳を待ち時間に読んでいました。この本には想い出があります。京都の大学時代恩師はこの哲学書を5回も読んだのですが、理解することができなかった……とぼくに語り掛けたことがあります。医学の分野ではビンスヴァンガーという精神科医ハイデガーの「現存在分析」を使用して患者を<人間として診る>態度を確立しました。

 ぼくは実家暮らしなのですが、原書があるので少しずつ高田珠樹訳を参照しながら、読み進めていこうと思います。作品社から出ているのですが、作品社ではユニークな会社です。思想界に激震を与えた長谷川宏先生の『精神現象学』の翻訳を刊行したり、続々と思想書の邦訳を出版しています。

 スポーツ運動学の発展のために勉強していこうとおもいます。。。

『臨床哲学エッセイ ボイスレコーダーに吹き込んでいます。』

このところ眠剤をODしてしまうことが多い。これは身体にもこころにも良くないのでやめたほうがいい。ぼくは今、ボイスレコーダーハイデガーの『存在と時間』や白石豊先生の『実践メンタル強化法 ゾーンへの招待』をふきこんでいる。もちろん、金子明友先生の『身体知の形成 運動分析論講義・基礎編上』もボイスレコーダーに吹き込んでいる。金子明友先生は運動分析論を現象学や形態学を俎上にして「現場に生きるスポーツ運動学」を深化させようとしている。金子先生の考え方はドイツ語圏の故クルト・マイネル教授の遺志を引き継いでいる。

 ぼくのヨーガの実践は身体知の考察にクロスオーバーしている。白石豊先生の金子明友先生との出会い。そして、加藤澤男先生との出会いによって身体知の考察を余儀なくされている。メンタルトレーニングが巷間にあふれているなかでもスポーツ運動学という<学問>に立脚しながらもヨーガの出会いが白石豊先生の生きざまがその行間からにじみでている。

 不安から逃げることからこのようにボイスレコーダーに吹き込んで聴きながら耳学問として学んでいる。自律神経の乱れは交感神経と副交感神経とのきりかわりでおこなわれる。大仰に現象学とか形態学とか出す必要がない。そのことを金子先生の著書から学んだ。Twitterで交流しているmastercourseのツイ仲間からは「理論的枠組みは現象学ゲーテの形態学による」と言う。

瞑想にはまっている

 この頃瞑想にはまっています。深く息を吸ってはいて蓮華座(結跏趺坐)の状態から身体が中に引っ張られるような感覚で10分間から20分間呼吸に意識を重きを置いて只管打坐というただ坐る状態を維持します。ときどき、村治佳織さんのクラシックギターミュージックをかけながら瞑想しています。「今・ここにおいて呼吸している」と自覚しながら瞑想することをヴィッパサナー瞑想というのですが奥が深いです。

 Twitterでとある方に「禅定にはいることは過程であって目的ではない」と指摘されたので、そうだなぁと思いました。すぐに目的にしてしまう悪癖がでてしまったようです。

 世間にはいることができないのではないかと厭世主義に陥ってしまわないかと不安になりますが、そのこともみつめながら瞑想を続けていきたいと思います。。

しばらく、小説を書くことをやめます。


 支離滅裂なお話なのでブログを書くとき精神状態があまり、よくないので小説を書くことを一時やめることにしました。読者にはもうしわけないですが、エッセイを書くことでぼく自身のありのままの姿をあらわせばいいとおもいます。 そのほうが、ぼくの精神状態もよくなると思うのでそうすることにしました。

『時代の流れ』その5

 ぼくはデイケアに週4回通うことになった。チグリス村のデイケアはウォーキングをしたり、カラオケをしたりして時間をすごした。楡病院と同じ系列の柳クリニックのデイケアだった。柳クリニックには自転車で行くことになっている。血液検査をしたら血中コレステロール値と中性脂肪が高めだったので運動を取り入れないとやばい。ユーフラテスにある楡病院のクリニックにはK先生がいた。K先生は大量の患者を抱えておりいそがしかった。ぼくは一日1000円のお小遣いを母にせびるのでK先生に怒鳴られてしまった。K先生の奥さんも図書館を利用するのに、それはないだろうとなかばK先生にあきれられてしまった。

 ぼくはフランツ・カフカに影響をうけてチェコ語とドイツ語を勉強することにした。カフカはドイツ語で小説を書いたけど、生きていたのはチェコだ。学習法はただCDを聞き流すだけ。ぐうたらで怠け者のぼくにはぴったりの学習方法だ。K先生は医学博士なのでドイツ語が堪能だった。チェコ語は未体験な言語なのでどれくらいみにつくか愉しみだ。チェコ語とドイツ語は似た言語なのでなるべく速くマスターしたいと思うが語学には近道がない。
(了)