臨床哲学エッセー 『読む本をしぼる』

 

スポーツ運動学―身体知の分析論

スポーツ運動学―身体知の分析論

 まえがき
 ここに『スポーツ運動学』と題された本書は現象学的形態学を基柢に据えた身体知分析論の入門書である。その副題に「身体知の分析論」を掲げたのは本書がスポーツ領域における動感化能力の発生論的運動学として,その独自な方向づけを明確にしようと意図しているからである。スポーツ領域の身体運動を対象にする研究は古くから主流を占めてきたのが精密科学的な運動学である。そうすると,ここに主題化される内在経験を起点とする現象学的な発生論的運動学はその科学的運動学と明確に区別されるのでなければならない。このスポーツ運動学の入門書はその発生論的運動学の門をたたく人のために明確な道しるべを立てようとしている。そのねらいは発生論的運動学の広大な理論領域の体系化におかれている。だから,本書はスポーツ運動学がわかりやすく解説されているという意味での入門書とはいえない。少なくとも,その運動認識や基本的な概念については拙著『身体知の形成』『身体知の構造』の講義録にその説明に委ねるしかない。しかし,スポーツ領域でコツやカンという身体知の分析論を科学的運動分析論から区別して理解するのには役立つはずである。
 この身体知分析論を主題化したスポーツ運動学の研究はマイネル教授の著『運動学』(1960)との出会いにまで遡る。しかし,マイネルの運動学がその社会的背景や唯物論弁証法の基礎づけから解放された今こそ,マイネルの形態学的運動学を批判的に継承する起点に立つことができる。その起点はわが国のスポーツ運動学会の設立(1987)の年になる。マイネル教授の没後20年で発見された遺稿の整理とその出版に忙殺されて,発生論的運動学を体系化する仕事は先送りになってしまった。幸いなことに,マイネル遺稿をやっと出版した年(1989)が奇しくもマイネル生誕100年に当たっていた。ゲーテ形態学にゆかりのドイツ・ライプツィヒ大学でその記念祭行事として国際運動学シンポジウムが華々しく開催され,その基調講演に招待された。その基調講演の準備にも時間がとられ,身体知分析論を主題化したスポーツ運動学の入門書を上梓する機会を失ってしまった。しかし,そのマイネル記念シンポジウムに世界各国から参集した多くの運動学研究者たちの発表を聴いていて,マイネルが求めて止まなかった感覚論的形態学に基づく運動学は本場のドイツでさえよく理解されていないのに愕然とした。これではゲーテの創始による形態学思想をスポーツ運動学に生かそうとしたマイネル教授の遺志はとても継承されはしない。
 マイネル教授の形態発生論の遺志をおこがましくも継承しようと上梓したのが『わざの伝承』(2002)であり,ついで『身体知の形成』(上下巻2005)『身体知の構造』(2007)という三巻の講義録も上梓することができた。しかし,これらの一連の仕事では,その身体知発生論全体の体系化は背景に沈められている。そのためか身体知発生論の固有な学領域を正統な体系論として理解しにくいという憾みが残る。こうして,冗長な講義録を簡潔にまとめて,現象学的運動学と科学的運動学の分析方法論の違いを示した入門書を改めて江湖に問うことになった。
 しかし,17世紀に始まるデカルトニュートンの身体の運動理論はわれわれの運動認識に決定的な重みをもち,19世紀末から現れた身体運動の新しい分析論はかなりの抵抗に会わざるをえなかった。その概念混乱の事情は現象学創始者フッサールの『イデーンⅠ』に詳しい。現象学的運動学の新しい一般理論を提唱したオランダのボイテンデイクはその二つの身体運動学の違いを明らかにしてこそはじめて両者の上位の協力関係が生み出されるという。そこでは,どちらが正統であるとか,どちらかに還元できるという次元の問題ではないというカッシーラーの指摘もまた重大な意味をもつ。しかし,それらの指摘はその時代を風靡している科学主義の前にはあまりにも無力である。宇宙空間に居住可能になりつつある科学万能の時代に身体運動の分析論がコツやカンの発生をメルロ=ポンティのいう現象領野に求めるのは時代錯誤としか映らない勢いである。こうして,内在知覚の地平分析における無限性を伝来の芸道思想に重ね合わせ,無限にテロスを追求していく目的論的な身体知分析論はデジタルテクノロジーの科学主義から一蹴にされる勢いである。
 ところが,いくらロボットの動作発生メカニズムがわかっても,生身の動きかたに移す動感化現象そのものの解明は欠落したままである。ロボットにできるから人間にもできるはずだといっても,その人のわが身に本原的な充実性がありありと生化するのでなければ,新しい動きかたは生きられる身体に発生するはずもない。しかし,見事な技芸を生み出す職人たち,神業のようなシュートを打つ選手たちにとって,そのような身体知の存在は明証的な原事実である。この拙い入門書が体育やスポーツの指導実践にたずさわる人たちだけでなく,他の学領域で身体知の分析に悩む人,あるいは技芸の伝承に関心をもつ人たちにも捧げたいと心密かに願っている。それはわざの伝承世界に生きる人たちにとって共通の悩みを共有できるからに他ならない。
                                  金子明友
そして
陸上競技コーチング<Ⅰ>』を精読することによって目標である
競歩
②3000mS.C
トライアスロン
に挑戦していきたい。