『時代の流れ』その4

カフカの考え方はK先生とよく似ていた。K先生は勤勉で真面目な医学博士だった。精神科医でありながらトーマス・マンカフカ、ガルシア=マルケスを愛していた。K先生には父親がいなかった。49歳の前にして亡くなってしまったのだった。K先生の趣味はアコースティック・ギターを弾くことだった。ぼくはK先生の患者だった。K先生は白衣を着ることを嫌がっていた。
「権力の象徴みたいだろ」
と笑って言っていた。

 ぼくは眠る前に『カフカの生涯』を精読することにした。カフカは法学部出身でチェコ語・ドイツ語を自由自在に読み書きすることができた。ぼくもそうなりたい。そのうち似顔絵を描くかもしれないな。カフカにはマックス・ブロートという名の親友がいた。彼がいなかったらカフカの有名な『審判』や『城』は陽の目をみなかったはずだ。カフカの女性遍歴はいろいろあるけどあえてここには書かない。

 ナガタさんは臨床心理士でシンガーソングライターだった。精神科の病棟で仕事をしていた。患者の心理検査をしたり、芸術療法をやったりしていた。完全主義なところがあってコーヒーのしみが机についていても気になってティッシュでふきとるほどだった。K先生の助手として働くことが多く、患者の心理検査のデータを完全管理していた。楡病院では患者の数が多くてデータ管理のスペシャリストが必要だったのだ。シンガーソングライティングはボブ・ディラン斉藤和義のコピーからはじまった。K先生と同じくアコースティック・ギターを愛していたが、エレキ・ギターも愛しており、臨床心理士の仕事が終わったあとはライブ・ハウスで自作の詩を歌った。ナガタさんはそのことを「わたしの芸術療法」と名づけており、「ギターを通すことによって心身が浄化するの」と語っていたことがある。ナガタさんがステージに立つとき、その薬指にはどくろの指輪と胸にはロザリオが光っていた。指輪の内側には〝memento mori〟(死を忘れるな)と刻印されてあった。