『時代の流れ』その2

ぼくはK先生を見習ってフランツ・カフカの『審判』を読むことにした。漫画を描くことにしたのだ。カフカの漫画を。K先生のあとを追うことによって不安を消し去りたかった。どこまでも続く不安を消し去るためには「昇華」することしかない。哀しみと悲しみは逃避すればするほど追いかけてくるものだ。心理療法には芸術療法という療法があってぼくのような精神疾患を抱えている人間に絵を描いたりすることで精神的負担を軽減させる癒しの効果があるらしい。漫画を描くことによって癒されるのだ。あまりロックなことではないけどね。カフカの『審判』ではヨーゼフ・Kがある日突然逮捕される。彼は何ひとつ悪いことをした記憶がない。どのような理由による逮捕なのであろうかと。その理由をつきとめようとするのだが、確かなことは何ひとつ明らかにならない。不条理に満ちた現代の時代を生きる孤独と不安を描いた作品だ。

 浦沢直樹手塚治虫の漫画を模写して漫画を学ぶことにした。BGMはDo As Infinityと斉藤和義だ。まず、ネームという2Bの鉛筆でノートに下書きのようなものを描いていった。そのつぎに丸ペンで人物の輪郭にそってペン入れやベタ塗りをしていった。孤独な作業だった。しかし、これは宛名のない手紙のようなものだ。誰かに届かぬやもしれぬ手紙。

 いままでぼくは叔父の後追いばかりしていた。金子明友先生の著作を読み漁り、スポーツ運動学の論文を書こうと誇大妄想がどんどんふくらんでいた。でも、それは卒業した。象牙の塔にひきこもってばかりでは前進することはできない。そもそも「スポーツ運動学」は「生きた現場」においてどう選手を教育していくのかという命題をもった学問であり、「机上の空論」ではないのだ。叔父は体育の先生であっても、ぼくは体育の先生ではない。デイケアでそして、病院に入ってそういうことを学んだ。人間関係は体操競技の世界にはないことを。新たなステップに歩みだすためには第一に生活のリズムを整えること。第二に決まった時間に決まった場所に行くことができること。第三にじっくりと声を聴く努力をすることが必要条件だ。ぼくは現在、デイケアにおいてビーズのアクセサリーづくりをしている。ロザリオを作成しているのだ。100個のビーズを組み合わせてネックレスにするつもりだ。