『時代の流れ』その1

小説を書きたいぼくはK先生のもとを訪れた。K先生はカフカやガルシア=マルケスの研究で有名だった。マジック・リアリズム白い巨塔のなかにK先生は住んでいた。ナガタさんという助手がK先生のことを助けていた。精神医学と深層心理学も学んでいたK先生は「深層心理のブラック・ジャック」とよばれていた。

 ぼくはチグリスという村に住んでいた。そこでは小説を書くと報酬がもらえた。現実の世界から逃避しているような感覚だった。現実の世界と折り合いをつけなきゃいけないなと思えば思うほど、現実から逃げることはない。しかし、なまけもの100%でできているぼくは現実に立ち向かうすべを知らなかった。統合失調症鬱病を抱えて生きているぼくにとっては小説を書くことは「現実に立ち向かうすべ」そのものだった。チグリスではナカムラさんという少女漫画が好きな女の子と友達になった。ナカムラさんが描く漫画は少年漫画そのものだったけど。

 K先生はユーフラテスという村の白い巨塔にすんでいた。K先生は医学生でありながら文学に造詣が深かった。北杜夫恩田陸の小説を好んで読んでいた。もちろん、カフカやガルシア=マルケスの小説も深く研究していたのだけど。ユーフラテスには泉があった。その泉にふれると小説のアイディアが湧いてくるらしい。村人たちはその泉のことを「グランデの泉」と呼んでいた。K先生は漫画を描くことができた。大学院生にしてはポップな絵柄で人の心を掴んだ。

 ぼくはチグリス村から離れることはなかった。妄想の世界を泳いでいた。ナカムラさんの絵は文通のなかでやりとりをした。K先生のことやナガタさんのことを書いていった。それから、アリストテレスの『二コマコス倫理学』の第8、9巻の「友愛」について議論した。加藤信朗訳の『二コマコス倫理学』には鉛筆の傍線がたくさん引かれていた。難しいことを簡単に説明することほどむずかしいことはないことを文通で悟った。無意識に難しい言葉を選んで手紙を書いているので「解読するのに一苦労だわ」と言われたこともある。現実をみないで生活することほど難しいこともむずかしい。価値観が違うので「友愛」が成立するのか否か考えていたのだけれど、そう長くはかからなかった。時間の流れはチグリス村では現実の世界よりも遅く流れるらしく、時計の針がなかなか速く回らない。小説を書いても書いても不安はつきまとってくる。今度、ナカムラさんから手紙がきたら「一緒に漫画家になるためにタッグをくまない?」と打診するつもりだ。ナカムラさんが漫画担当でぼくが原作担当という漫画コンビだ。

 ユーフラテスには多くの看護師さんがいた。介護はロックのバンドの演奏よりも困難だ。糞尿で汚れたおしめをはずさなくてはならない。介護は命にかかわる仕事だ。ぼくはそのことを目の当たりにして人生の勉強になった。時折、トイレに汚れたおしめがおいてあることもあり、ぼくはおしめを詰所にいって「汚物室」とよばれる部屋にもっていってもらったことがある。チグリスからユーフラテスに向かうときは自転車でいった。