『小説家をめぐる冒険』『私小説のありかた』

 僕は気がついたら小説を書いていた。Kには小説を書くことを止められていたが、書かざる追えない状態になってしまっていたのだ。僕は大学休学して何故かロシア語とドイツ語の勉強をしていたそして、身体に関わることを小説に書いていた。いつも炬燵の上で書いている。読者は僕たったひとりだった。Kには「早く大学にもどってこい」と言われたが、文学を志したばかりになかなか復学するチャンスを逃していた。
 Kは古典ギリシャ語が得意で休学するまえからの友人だった。Kはクラタカソウスキと友人でよく古典ギリシア語の文学、例えば『イーリアス』について論じ合ったりしていた。僕自身<内面をみつめるため>に小説を書いていた。今、外の光をあびながら小説を書いている。Kには「内面ばかり見つめて意味あるのかよ」と言われたことがあるが、人間の深層心理は<自己をみつめる>ことによってしか得ることができない、集合的無意識もまたそんなかたちになっているのだろう。
 僕は3階建てのアパートに住んでいた。部屋のなかには与謝野晶子訳の『源氏物語』が平積みになって置いてあった。とくに古典文学が好きではないのに与謝野晶子の論理的美文に惹かれてしまった。また三島由紀夫の『春の雪』もくりかえしくりかえしよく読んだ。三島由紀夫はエリート官僚だけあって密度の濃い論理的な流麗さがあった。そしてひとつの美学がつらぬかれていた。しかし私小説を書くには膨大なエネルギーがいる。