『小説家の冒険』『小説家をかたちづくるもの』

 僕は本屋が好きでよく行く。友人のKは小説家で長編小説を書くことが、生きがいだった。本屋でよく立ち寄るのが文藝書コーナー。Kの本を買うこともしばしばあった。Kはよく『源氏物語』や谷崎潤一郎の『細雪』を読みこんでいた。その筆からにじみ出てくるものがあったのだ。家族の物語をKは熱心に書いていた。三島由紀夫の評伝を書くにしても家族の細やかなディティールを描ききっていた。僕の尊敬する作家は三島由紀夫谷崎潤一郎吉行淳之介だったのでKの本は深く読むことができた。
 Kのアパートは6畳間で作家にしては手狭な住居だったか、Kは満足していた。深い恋愛小説家の実体は細やかで質素な生活で成り立っていた。Kのアパートには文学全集のほかに哲学書や数学の本が置いてあった。レコードプレイヤーもあり、ジャズやクラシック音楽が自由に聴くことができた。Kの妻はの美人だった。Kの遊びぶりは激しいものだった。酒を飲んで街中を歩きまわるのが趣味で、作家仲間にお金を渡したりしていた。Kの身体の半分はブランデーとウィスキーでできていた、と言っても過言ではない。しかし、Kの身体つきは建設会社に勤めていた経験もあり筋肉隆々だった。大学時代にボクシング部で身体を魂のごとく磨いていたこともある。
 僕はかなり奥手な人間で彼女がいたためしがない。その経験を恋愛小説に昇華するはめになった。編集者とは気が合った。編集者の世界は「自己を表現すること」にある程度、制限がかかっているので作家との仲は重要になってくる。僕は小説を書くために、本を読みこむことにしている。だいたい2回〜3回の通読で「ひらめき」がやってくる。「ひらめき」がこないときはうんうんと唸ってノートに掌編小説細かな字で書いていく。或る作家が「小説を書くことは勉強だ」とむかし語っていたことがあるがこの言葉は真理をついている。文体にはリズムがあって心臓の心音に似ているかもしれない。
 Kの妻はハナコさんといった。ハナコさんはずっとKの創作活動を見守って来た偉大な妻だった。Kの酒飲みに関しても何も言うことはない。ハナコさんはかつて銀座のバーで働いていた。「本のことならおまかせ」の不可思議な雰囲気を醸し出しており、教養があり、どんな噺でもはなすことができた。実はハナコさんも小説をめざしていた。そんな折にKと出会った。Kとハナコさんは向かい合って文壇のことを語り合った。噺はどんどんふくらんでいき、そのうちケータイのメールアドレスと携帯の電話番号を交換するようになった。そのうちに「本屋デート」を繰り返すようになった。「本屋デート」は本屋をハシゴしていろいろなことを語り合いながら相手の本性をあばくというすさまじいデートだった。そのためハナコさんはKのことを精神分析することができ、安心して結婚することまでにいたった。
 僕はいまだに長編小説を書きつづけている。2Bの鉛筆で青いノートに縦書きで下書きをしたあとに原稿用紙の升目を埋めていくというめんどうな手段をとりながら、Kも元気に恋物語を書き続けている。そして、映画化にもされた。その映画『みそじ』といい、シナリオもKが書くことになり、映画のシナリオを書きたかったKは喜んだ。映画は全国で上映されるようなになった。